苗木くんと新世界プログラム






目の奥がちかちかとする。しかしこの感覚も実際の肉体が感じているものではなく、この新世界プログラムの中で構築されたアバターが感じているものだ。星歌達は今、江ノ島盾子のアルターエゴが消失したことを確認して、新世界プログラムの強制シャットダウンを行ったところだった。今まで緊張に張りつめていた身体が少しずつ解けていくのを感じながら、苗木は深く息を吐いた。


「お疲れ様、星歌さん」
「うん。苗木くんも、お疲れ様」


少しずつ周りの風景が霞み、光の粒子となって溶けていく。すでに先程まで一緒にいた日向たちの姿はなく、眩い七色の光で星歌は目を眩ませながら、目の前で微笑んでいる苗木を見た。黒スーツではなくフード付きのパーカーに懐かしさを感じる。この場所に入ってくるため、苗木や霧切、十神たちは高校生の姿になっている。まだあのコロシアイからそんなに時間は経っていないはずなのだが、あの日々が酷く遠くに感じた。そんな感慨に浸っていると、じっとこちらを見てくる苗木の視線に気付いて星歌は顔をあげる。


「苗木くん、どうかした?」
「え!? あ、いや、えっと………なんだか、その恰好の星歌さんは久しぶりだなって」
「そうだね。もう久しくスカートなんて履いてないし」


お蔭でなんだか落ち着かないよ、と星歌は笑った。未来機関では基本黒スーツで、霧切とは違い星歌はパンツスタイルだ。対して、今の星歌は黒を基調とした――――というか、もはや黒一色と言っても過言ではないセーラー服を着ている。ちなみに下は黒タイツである。色的には今も昔も変わらないな、と星歌は淡々と今の自分の姿を観察した。


「苗木くんもそのフード、懐かしいな」
「そうかな?」
「うん。可愛いよ」
「か、可愛いって言われても嬉しくないし、それならボクより星歌さんの方がよっぽど可愛いよ!」
「………おい、お前ら。いちゃつくなら帰ってからやれ」
「あら、いつものことじゃない」


飄々と言ってのけた霧切に苗木は顔を赤くして、十神は苛立ちまじりに一つ舌打ちをする。昔なら苗木がびくりと肩を揺らしていたものだが、今では彼の威圧的な態度にもすっかり慣れてしまっていた。そんなにいちゃいちゃしているだろうか、と日頃の自分達の行動を思い出し、ついでに十神の行動も引きずられて思い出す。しかし、いまいち分からない。いちゃいちゃいしてるというなら、いつも騒いでいる十神と腐川の方がよっぽどと思うのだが。


「そうかな。十神くんだって、腐川さんといちゃい「黙れ飴凪。おぞましいことを口にするな!」


どうやら、星歌も同じようなことを考えていたらしい。苦々しげというよりも恐ろしげに言われた言葉に、ここまで十神を動揺させる腐川は実は結構すごいのかもしれない、と星歌は今更になって感心した。こんな風に思うのも、今見えている姿に気持ちが引きずられているからかもしれない。徐々に周りの光が強くなり、世界の輪郭が曖昧になってくる。少しずつ現実へと引き戻されていく感覚に目を閉じれば、右手にやんわりとした温かさを感じた。薄目を開けて隣を見れば、光の中優しく微笑んでいる苗木の顔。今なら彼を天使と見間違えても誰も非難しないだろう。


「帰ろうか、星歌さん」
「事後処理がたくさんあるしね」
「あ、はは………。それは言わないでよ」


これから目覚めるであろう日向たちがどうなっているのか見当はつかない。この仮想世界での記憶は受け継がれているのか、そうでないのか。例え受け継がれていたとしても、残りのメンバー達は目が覚めるかも分からず、意識が戻る可能性は限りなく低い。それでも苗木の笑顔を見ていると、不思議と大丈夫と思える。これも『超高校級の希望』の為せる業なのかもしれない。現実で目が覚めたなら、まずは苗木を思い切り抱きしめよう。アバターの身体ではなく、本当の身体で。面倒な事後処理を考えるのはその後だ、と星歌は夢から醒める為に目を閉じた。