苗木くんに二度目の告白






――――それはまるで、灼熱の砂漠から極寒の海に叩き落とされたかのような衝撃だった。


――――ッ! 星歌さん!」


目に染みる太陽の光が痛い。頭蓋骨の裏側が妙にむず痒くて、出来るなら脳を取り出して掻き毟りたい気分だった。だけど、 そんなグロテスクな表現を思い浮かべた私の思考回路はすぐに移行する。そこから生まれるのは空白だった。それを断続的に挟みながら、私は思い出す。 失われていた二年間の高校生活。それを失った理由。あの学園で行われたコロシアイのこと。死体の冷たさと血と脂の匂い。『超高校級の絶望』の高らかな笑い声。 それが押し潰される映像。そして、開いた扉の向こうにあった荒んだ世界と、――――今、私の手を握っている彼のこと。


星歌さん。良かった、目が覚めたんだね」
「………うん。おはよう、苗木くん」
「記憶は戻った?」
「………戻った。全部、思い出した」


身体を起こすと、首から上はまるで鉛を乗せているみたいに重かった。眠る前には、色とりどりのコードが繋がれていたが、今はそれももうない。隣のベッドを見れば、すでにすべて空っぽになっていた。どうやら、目覚めたのは私が最後らしい。苗木くんが言うには、私は丸二日寝ていたとのこと。他のみんなは、すでに意識も記憶も取り戻して、私達を保護した彼ら――――“未来機関”のメンバーと話をしているらしい。私達は“未来機関”の手を借りて、江ノ島盾子に奪われていた学園生活の記憶のすべてを取り戻すことができた。その引き換えとして、私達は希望ヶ峰学園の生き残りとして彼ら“未来機関”に所属することになったのだ。そこまで思い出して、記憶の引き出しを整理する。いきなり引っ張り出された膨大な記憶も、思ったより早く整理がついた。


(そうだ。私達は、あの学校でクラスメイトだった)


決して全員と仲が良かったわけではない。セレスティアさんとはそれほど話したことはないし、男子に至ってはよく話していたと言えば山田くんと不二咲さん、あとは今目の前にいる苗木くんだけだろう。それでも、彼らは共に学園生活を過ごした友人だった。大切な、たいせつな。


「………星歌さん」


その呼び方で呼ばれるのも、何時振りだろう。懐かしい、心の安らぐ響き。他の人達が苗字呼びのなか、私だけ名前で呼ばれるというのは、細やかな優越感を感じさせてくれた。失われた記憶が蘇ったことで、私は苗木くんに対する想いも思い出せた。ああ、そうだ。私は彼が好きで、彼も私を好きだと言ってくれて。あの場所に閉じ込められる前から、私は彼のことが好きだった。高校生で異性に愛してるなんて言葉を使うのは気恥かしいけど、この気持ちがそうならば、そう言うしかない。


「苗木、くん。苗木くん、ごめんなさい、苗木くん」
「うん。大丈夫だよ。星歌さんは、頑張ったよ」


視界が一瞬だけ滲んで、また晴れる。涙は目の縁に留まるなんてことはせず、次から次へと頬を滑り落ちていった。目に火がついたように熱が集まり、後悔と慟哭と謝罪と安堵と、もう訳の分からないごちゃごちゃしたものが涙として流れていく。苗木くんがベッドの上に乗りだして、抱きしめてくれた。泣くのは苦手だ。息は苦しくなるし、涙で顔はぐちゃぐちゃになるし、情けないことばっかりだ。だけど、苗木くんの温もりが、その苦しさが、私も彼も生きていると教えてくれた。生きているなら、生きなければ。諦めないと決めたから。希望を捨てないと決めたから。それから私は、みっともなく苗木くんに縋りながら泣いた。嬉しいのか悲しいのか分からないまま、気が済むまで泣いた。これで泣くのは最後にしようと、これで死んでしまった彼らに謝るのは最後にしようと決めながら。そうすれば、もう日は暮れ、部屋の中は赤く染まっていた。その景色に、取り戻したばかりの記憶が色鮮やかなにフラッシュバックする。


「………懐かしいな」
「懐かしい?」
「うん。苗木くんに告白してもらったときも、こんな綺麗な夕日だった」


覚えてる? と訊けば、苗木くんは照れくさそうに笑いながら当たり前だよ、と答えてくれた。そこで、ふと思う。記憶を失ってから閉じ込められている間の私も、確かに彼に好意を抱いていた。今ほど明確で強いものではないけれど、それでも彼に惹かれていたことははっきりと覚えている。それは、記憶ではないどこかがまだ彼への想いを忘れていなかったということだろうか。それとも、記憶を失い気持ちをリセットされてもなお、私はもう一度彼のことを好きになったということだろうか。真相は定かではない。だけど、どちらにしろ、私は彼に二度恋をしたということになる。これも『惚れ直す』のうちに入るのだろうか?


「苗木くん、好きだよ」
「ど、どうしたのいきなり」
「二度目の告白だよ。ねえ、苗木くん。私はキミが好きだよ。苗木くんは?」
――――ボクも星歌さんが、好きだよ」


その告白は、最初の告白よりも滑らかで優しくて、けれど、苦く切ないものもあった。もうあの頃みたいに、嬉しさだけで受け取るには、私達は純粋でもなければ無垢でもなかった。あまりにも多くのものを背負い、失い、得てしまった。だけど、それでも、私は彼のその言葉で笑顔に戻ることが出来る。喜びを感じることが出来る。今はそれが精一杯だけど、きちんと昔みたいに笑えるようになるから。


「ありがとう、苗木くん」


だからもう少しだけ、このぎこちないままの笑顔で許して。