狛枝くんが舐める






麗らかな昼下がり、南国と言っても汗が滴るほど暑いというわけでもないので、木陰にでも入れば十分昼寝や読書を楽しめるなんともアウトドア日和な日に、ボクはどういう気紛れを起こしたのか砂浜に来ていた。広がる水平線には影一つなくて、小さな船の姿一つ見えない。本当に、この島はどの辺りにあるのだろう。そういえば、飛行機やヘリコプターを飛んでいるところだって見たことが無い。塵一つ落ちていない砂浜を踏みしめながら目的もなくぼんやりと歩いていると、少し先に飴凪さんを見つけた。


(珍しいな)


彼女も大抵は部屋にいて、滅多に外に出てこない。引きこもり一歩手前みたいな感じだ。その飴凪さんは、体育座りをしてただ無為に時間を過ごしているようだった。声を掛けようかどうしようかと悩んで、もう少し近づいてから考えることにした。彼女はボクには気付いていないらしい。もう少し、と考えている間に、すっかり隣まで来てしまった。けれど、彼女は考え事をしているようでまだボクの存在には気付いていない。今、この島でコロシアイが起きていることを忘れているのだろうか。あまりにも無防備すぎるんじゃ、とため息をつきたくなる。ここまで来て引き返すのもなんだかもったいない気がして、ボクはそっと隣に腰を下ろした。


「………」
「………」


飴凪さんは遥か彼方の水平線を見ていて、鳶色の瞳は強い太陽の光を吸い込んできらきらと光って見えた。彼女はこの状況をどう思っているんだろうか。学級裁判でもあまり口数が多い方ではないけど、言うことは一つ一つ的確で、その時に垣間見せる強い意志の光にいつもボクはぞくぞくさせられる。その光は、まさに希望だった。彼女の希望をもっと見てみたい。彼女の希望が光り輝く舞台をボクの手で演出できたら、どんなに素晴らしいのだろう! 彼女の為なら幾らだって手を貸すのに、彼女は人を殺すつもりはないらしい。


「………なんの用かな、狛枝くん」
「あれ? 気付いてた?」
「君が“もったいないな………”って呟いた辺りからね」
「そうなの?」


いつの間にか惜しむ気持ちが言葉になっていたらしい。飴凪さんは相変わらず水平線を見たまま、ボクに視線の一欠片も向けてくれない。爛々と光るその輝きをどうにか見たくて、どうすればボクを見てくれるのか、考えた末にボクは飴凪さんにこう言った。


「ねえ、飴凪さんの目、舐めさせてくれない?」
――――人形みたいな目だと言われたことはあるけど、舐めさせてくれっていうのは初めてだな」
「別に眼球フェチなわけじゃないんだけど」
「いやフェチ以外でそんな発言をする人間はいないよ、狛枝くん」
「うーん。眼球なら誰でもいいってわけじゃないんだけど」


ボクの提案に、飴凪さんはやっとこちらを向いてくれた。ちょっと前髪で隠れてしまったので、そっと指で払うとびくりと仰け反られてしまった。大きく見開かれた目は、ああうん、やっぱり舐めたい。最初はこっちを向いて欲しいが為の発言だったけど、口に出してみるとその欲求はどんどん大きくなっていく。


「うん、分かってるよ。ボクみたいな惨めでどうしようもない汚い人間に飴凪さんの綺麗な目が舐められるなんて恥辱以外の何物でもないと思うし、そもそも飴凪さんに触れたいなんて思うことがまずおこがましいにも程があるって分かってるんだけど、君みたいな強い希望を宿した瞳を見てしまったらもういてもたってもいられなくなっちゃったんだ」
「落ち着け、狛枝くん。そもそも狛枝くんだから舐められたくないとかそういう次元の問題じゃないんだ」
飴凪さんが駄目なら、日向くんと七海さんの目でもいいかな」


そう言うと、星歌さんの動きがぴたりと止まった。飴凪さんがあの二人と懇意にしていることは良く知っている。日向くんも何かと飴凪さんに頼っているところがあるし、七海さんのゲームの相手も飴凪さんが一番多いだろう。そして、飴凪さんはそっけない言葉遣いやクールな態度からは考えられないほど、中身は激情家なのだ。友達思いで、人間思いの飴凪さん。だからこう言えば、彼女がどう出るかは簡単に予想できる。


「………右目だけ。右目だけだ、狛枝くん」


この潔さもボクが飴凪さんに惹かれる要因なんだろう。飴凪さんは遠ざけていた身体をこちらに寄せてくる。心なしか目が潤んでいるような気がして、ボクは飴凪さんの頬に手をかけて、右目が閉じないように白い瞼を指で押さえる。左目はぎゅっと閉じられていて、右目は逆に一点を見つめるように固まっていた。いきなり舐めるのは危ない気がしたので、最初は口付けるように睫毛に触れる。びくり、と飴凪さんの肩が揺れてボクの腕を掴む。縋る様な弱々しさに興奮で背筋が粟立った。うっとりとした陶酔に任せたまま、舌先で飴凪さんの眼球をなぞる。


「………ぅ」


小さく漏れた飴凪さんの声に、瞼の縁をなぞるようにして舌先を動かすと、涙の味がした。ああ、気持ち悪いんだろうな痛いんだろうな。ボクみたいな男に眼球を舐められるなんて、どんな気分なんだろう。声が漏れないように唇を噛みしめるほど、ボクの服を掴む強さが増していく。そんないじらしさに、ちょっとした悪戯心が浮かんできた。ゆっくりと爪を立てないように薄い瞼を押さえる力を強くすると、砂を蹴る様にして飴凪さんの足が跳ねる。そのとき、スカートがめくれて白い脚が露わになったけど、飴凪さんはそんな場合じゃないんだろう。一瞬でその白さを記憶に焼き付けて、すぐに意識を飴凪さんの眼球に戻して思う存分堪能する。つついたら若干柔らかかった。それもそうか、眼球なんだから。最後に万遍なく彼女の眼球の隅から隅まで舌を這わせて離れる。舌先に残った言い様も無い感触に頬の緩みを抑えきれない。


「ありがとう、飴凪さん。やっぱり思った通りだったよ」
「………そ、う。お粗末様」
「粗末だなんて! もう病み付きになるくらいで、何度だって舐めたくなっちゃうよ」
「そうならないように願っておくよ。………で、どんな味だった?」
「希望の味かな」


右目を押さえたまま、左目からは今にも涙が縁から毀れそうになっていた。それでも涙を流さないように気丈に振る舞う飴凪さんは、案外負けず嫌いなのかもしれない。彼女はボクの言葉にひくりと口元を引き上げて「満足してもらってなによりだよ」と投げやりに言った。ああ、その涙に濡れた左目も舐めたいなと思ったけど、それはまた今度の楽しみに取っておこうと自重する。そう、また今度。更なる絶望を乗りこめて、より強く希望への輝きを宿してもらってから、ボクはその味をゆっくりと味わおう。