手が届かない苗木くん






とん、と傾いた身体が本棚にぶつかる。ふくらはぎは攣る寸前の危うい痛みを発しているが、苗木は背伸びを止めない。それでも限界が来て、一旦背伸びを止めて上を見上げた。どうしてこの本棚はこんなにも高いのだろう。上の方は成人男性でも手が届かない高さなので、もちろんこの書庫には梯子が常備されている。だが、もう少しで届きそうなのだ。実際、さっき指先が掠めた。些細ということなかれ、これは男の意地を掛けた戦いなのだ。


(ボクだって、あのくらい届くはず………!)


悲しいことに、すでに成長期は終わっているらしく、未来機関で黒いスーツを纏うようになってからも身長が伸びることはなかった。まあ十神はいいとしよう。だが、霧切や星歌にまで身長に負けているのは密やかに気にしている事項だった。特に星歌に身長で負けていることは、今でもからかいのネタとして(主にジェノサイダーに)使われるので、なんとしても克服したのだが、如何せん身体の身長を思うように伸ばす才能は苗木にはなかった。幸運で伸びてくれないかなとも思ったが、苗木の幸運はその願いを叶えることはなかったようだ。


「………よし」


小さく気合を入れて、もう一度手を伸ばす。ん、と小さく声を漏らして指先を本にひっかけるが、ぎっしりと棚に詰められているのか、なかなか出てこない。だけどあともうちょっと、と苗木が更に指先を伸ばそうとしたとき、ひょいと横から伸びる手。それは自分とさして高さは変わらなかったが、苗木がひっかけるのがやっとだった本をやすやすと棚から引っこ抜いた。そのとき、少しだけ肩がぶつかり、ふわりと香った香りに胸が高鳴った。視認するよりも声を聞くよりも早く、意識ではなく身体が反応する。その胸の高鳴りと鼻を掠めた香りに、苗木はその手が誰のものかを悟った。


「はい、苗木くん。これだろう?」
「………うん、ありがとう」


涼しい顔で本を渡してきた星歌に、苗木は肩を落としながらそれを受け取る。この得も知れぬ感情になんと名前を付ければいいのか。敗北感というほど強くはないのだが、漫然と気力を削いでいく不満。星歌は落ち込んでしまった苗木に首を傾げ、どうしたのかと訊いてきたが言えるわけがない。けれど星歌は何かを悟ったのか、くすりと笑うと苗木の顔を覗き込んできた。雰囲気も流れも無視した急接近に、苗木の不満はあっという間に消え失せた。代わりに、顔に熱が集まってくる。


「え、え、星歌さん?」
「………苗木くんがこの身長で良かった」
「どうして、かな?」
「だって、同じぐらいの方が顔が良く見えるし、それに」


星歌はそこで不自然に言葉を切ると、苗木の首の後ろに手を回して口付ける。それは重ねるだけの可愛らしいものだったが、苗木の頭をパニックにするには十分なものだった。星歌もほんのりと頬を染めながら、目を細めて笑う。


「それに、好きな時にこっちからもキスできる」
「………星歌さん、それ反則」


滅多に見せない星歌のはにかみに、苗木はもう身長なんてどうでもいいや、と開き直ることにした。