狛枝くんを殴ってみる






※アイランドモード





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星歌さん。こんなクズで君の視界に入る価値すらないボクが輝ける希望である君にお願いをするなんておこがましいどころか処刑レベルで許されないことだと分かっているんだけど、一つだけボクの頼みごとを聞いてもらってもいいかな?」
「キミは相変わらず前置きが長いね。まあいいや、言ってみて」
「僕を殴ってくれないかな!」
「合点承知」
「え」


ある昼下がり、ジャバウォック公園でぼんやりしていると、狛枝くんがやってきた。彼は私の姿を見つけると、爛々と顔を輝かせるのでもう嫌な予感しかしなかったが、午後の気だるさが私から逃げる気力を削いでいた。狛枝くんは実に歪みない希望厨で、あの日向くんでさえ窓口相談の役を放り出しそうな程だそうだ。そんな狛枝くんが私のところまで来て言った『お願い』は、殴ってくれとのこと。なので、殴った。一発。元々非力なので手加減はなくてもいいだろう。けど、なかなかいい場所に入ったらしい。顔ではなく胴体を殴ったら、動かなくなった。さすがにこれには私も予想外と焦る。


「え、あ、ごめん狛枝くん。その、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「ぐふ………っ。か、顔じゃなくて鳩尾なんて、実に星歌さんらしいね! さすが星歌さん、ゴミにも劣るボクのお願いに嫌な顔をするどころか即座に返してきてくれるなんて………っ! しかも手加減なく急所を狙ったんだね! ああ、素晴らしい、やはり希望は素晴らしいものだよ星歌さん!」
「………うん。大丈夫そうで良かったよ」


蹲ってふるふる震えているけど、結局彼は何がしたかったんだろう。殴ってから理由を訊くというのも可笑しいけど、私はとりあえず狛枝くんの回復を待って、彼の話を聞くことにした。日向くんや左右田くんは、「狛枝と話をすると疲れる」と太鼓判を押しているが、私はそうでもない。人の話を聞くのは元々好きだ。まあ、狛枝くんの場合はその内容が特殊だが。


「それで、どうして殴って欲しかったのかな。理由を聞かせてくれると嬉しいんだけど」
「そんなことで星歌さんが喜んでくれるなんて嬉しいなあ。だけど、きっとつまらないと思うよ?」
「良いよ別に。ただの暇潰し程度だと思って」


そう言うと、狛枝くんは何が面白かったのかくすくすと笑って、「ボクの才能のことは知ってるよね?」と訊いてきた。もちろん知っている。狛枝凪斗。『超高校級の幸運』。ただ、その才能にはムラ―――というか、クセがあるらしい。確か、不運がくれば、それを上回る幸運が来るんだとか。つまり、幸運を得る為に不運を味わなければいけない。そう聞くと、字面ほど幸運そうではない才能だけれど、裏を返せば、幸運のあとには必ず不運がつきまとうということだ。これ以上考えると、卵が先か鶏が先か、の話になってしまうけど。


「だって、可笑しいよ。この島に来てから、何も起こらない。もしかしたら殺し合いぐらいは起きると思ってたんだけどね。だけど実際は、ずっと温い水の中でぷかぷか浮かんでいるみたいに、穏やかな日が続いている」
「殺し合いって………。いくら超高校級の皆が集まっても、そんなトンデモは起こらないよ」
「そうかな? 案外簡単に出来ると思うよ。だって、君達は希望なんだ。なんだって出来るよ」
「………で、殴って欲しいって言ったのは、不運に遭遇したかったから、っていう解釈でいいのかな」


また話がオモシロ希望論に傾きそうになったので、私は無理やり現状へと話を戻した。すると、狛枝くんはあっさりとそうだよ、と頷いた。ああ、そうか。彼は、幸運を幸福と思えないのだ。幸福になることに――――より正確に言えば、幸福が続くことに不安を抱いてしまうのだろう。その感覚はきっと普通の人にもあるのだろうけど、狛枝くんは『超高校級の幸運』だ。常人と比べるのは失礼と言うものなのかもしれない。


「そっか。今度殴ることがあったら、もっと上手に殴るよ」
「顔でも背中でも好きなところ殴っていいよ」
「狛枝くんの顔はちょっと………」
「え? ああ、そうだよね。ボクみたいなゴミムシにも劣って直視するに堪えない顔になんて触りたくないよね」
「いや、その反対なんだけど」
「え?」
「狛枝くんの顔は綺麗だから。傷つけたくないんだよ」


そう言うと、狛枝くんは中途半端な笑顔を浮かべたままぴしりと固まってしまった。あれ、私の予想だとここでまたいつものように怒涛のごとく卑下と卑屈の嵐が来るんだと思ったんだけど。と、直後に狛枝くんは硬直を解いたかと思うとかあっ、と顔を赤くして目を逸らしてしまった。………狛枝くんが普通の反応だ。もう少しちゃんと見たくて逸らされた顔を覗き込むと、また逸らされた。なので、一度立ち上がって身体ごと狛枝くんの正面に移動すれば、目が合う。すると、赤みを帯びた頬はますます赤くなった。狛枝くんは色が白いから、上気するとすぐに分かるのだ。私は狛枝くんに声をかけようと口を開いたとき、向こうから日向くんがやってきた。


「おーい、星歌。………と、狛枝?」
「………。やあ、日向くん! ボクの名前までちゃんと呼んでくれるなんて嬉しいなあ! あ、安心してよ。こんなボクみたいな奴がいたんじゃ二人の邪魔になるだろうから、ちゃんと立ち去るね! それじゃあ!」


すくりと立ち上がってそこまで捲し立てると、狛枝くんはさっさと公園から出ていってしまった。珍しい。いつもは日向くんを見ると真っ先に駆け寄って目を輝かせる狛枝くんが、日向くんには目もくれず行ってしまった。日向くんも訝しげに狛枝くんが去って行った方を見て、私の隣へと腰を下ろす。


「どうしたんだ? 狛枝のやつ」
「………ねえ、日向くん」
「どうした?」
「狛枝くんって、もしかしたら可愛いかも」
「………は?」


うっかり口を滑らせた言葉の所為で、私は夕食の時間まで狛枝くんが如何に変人でどれほど危険人物なのかを日向くんに力説される羽目になったしまった。だが、私の頭の中は薄く頬を上気させた狛枝くんがぐるぐると回っていて、もはや手遅れになってしまっていたと言えば、日向くんはどんな顔をするだろうか。そんなことを考えながら、私は日向くんの狛枝くん解説に耳を傾けていた。