苗木くんに告白してもらった






夕日の教室というのは、どこか特別な感じがする。その空間だけ綺麗に切り取られて、時間の流れが外と食い違っているような、自分だけ違う世界に放り込まれたような。それが誰もいない教室ならなおさら。そして、好きな人と二人きりならば、もう特別なんてものじゃない。そんな感想さえ、吹っ飛んでしまう。


「まったく、この一日の感想というのは何を書けばいいのかな」


とんとん、とページの余白をシャーペンで突きながら、彼女が言った。形のよい眉は彼女の疑問を示すように真ん中へと寄っていて、さっきからシャーペンの先で突かれている余白は点描のように黒くなっていた。“超高校級の人形師”。それが、彼女が持つ肩書きで、ボクの好きな人がこの希望ヶ峰学園にいる理由だ。


「そうだね………。なんでもいいんじゃないかな?」
「なんでも? それが困るんじゃないか。だいたい、今日の日直は私じゃないのにさ」


不満げにいいながら、超高校級の人形師――――飴凪さんは、窓の外に目をやる。癖のない色素の薄い髪がさらりと肩から落ちる。夕日に照らされた髪はいつもより赤みが増していて、ふと小さいころに食べたべっこう飴を思い出した。いつもははっきりと相手を見据える瞳は眩しさで優しげに細められていて、それにまたどきりとする。というか、飴凪さんを見ていて心臓が大人しかった試しがないんだけど。


「セレスさんとの賭けに負けたんだっけ?」
「そうだよ。チェスなら勝てると思ったんだけどね」


さすがに超高校級のギャンブラーであるセレスさんに、真っ向から博打を打つようなことはしなかったらしい。だがチェスで負けたのが余程悔しかったのか、さっきから余白を突いていたシャーペンの芯がぱきりと折れてしまった。飴凪さんはそれで我に返ったのか、今や真っ黒になってしまって余白とは言えなくなったスペースを消しゴムで擦っていく。どうやら、飴凪さんは感情表現はクールなのに案外激情家らしい。そんな些細なことを知れただけでなんだか舞い上がってしまいそうだった。


「ええっと、それで、飴凪さん」
「ん?」
「その、ボクに用があるん………だよね? だから、呼び止めたんだと思ったんだけど………」
「ああ、そう。私はキミに訊きたいことがあったんだ。感想を考えるあまりに忘れてたよ」


ボクの存在って日直の仕事より軽いのかな、と思わず落ち込みそうになったけど、今まで飴凪さんと二人きりにだったのだから、それで帳消しにしよう。唯一の取り柄である前向きさを発揮して、改めて心を奮い立たせる。と、飴凪さんはまたしばらく窓の外を見ていたけど、ちらりとボクを見るとシャーペンを置いて姿勢を正した。


「実はキミに、訊きたいことがあってね」
「訊きたいこと?」
「そう。もしかしたら、今から言うことで苗木くんは不愉快になるかもしれないし、ただの私の勘違いかもしれない。もし私の言ったことが間違いだったら、自意識過剰だと嗤ってもらっても構わないし有り得ないと罵倒してもらっても構わないんだけど」
「う、うん。分かったよ。あ、いや、笑ったり罵倒したりはしないと思うけど」
「本当に?」
「本当に」


飴凪さんが何を言おうとしているかは分からないが、好きな子を罵倒したり嘲る趣味はない。十神くんじゃあるまいし。いや、十神くんは自分以外の人間に対しては嘲笑と見下しが通常運転だけどさ。飴凪さんはボクの言葉に少しだけ肩の力を抜いたようだった。そして、「苗木くん」とボクの名前を呼ぶ。それだけで、顔が熱くなりそうだ。というか、確実に赤くなってると思う。そして、次に続いた言葉は、信じられないようなものだった。


「もしかして、キミは私のことが好きなのかな?」
――――


………。
………。
………え?


「つまり恋愛感情という意味で、キミは私に好意を抱いているのか?」
――――
「………。うん、ごめん。やはり私の勘違いだったみたいだ。いや忘れてくれ。思う存分嗤って嘲ってその後すっぱり忘れてほしい。今のは無しで。ああやっぱり止めておいた方が良かったな。ごめん苗木くん、これは気の迷いということで――――
「あ、いや! ちょ、ちょっと待って飴凪さん、え? ごめん、もう一回言ってくれる?」
「………苗木くんはあれか、草食系な顔をして実は人の羞恥を抉るのが好きなドSタイプだったのか」
「そ、そんなんじゃないってば! その、訊き間違いとかじゃなかったら………。ボクが飴凪さんのことを好きか、って訊いたんだよね?」
「そうだ。けれどどうやら見当違いだったらしいから、今の発言は無かったことに――――
「ま、待って!」
「………さっきからキミは私の言葉を遮ってばかりだね」


いやだって、好きな子から「私のこと好きなの?」なんて聞かれて「うんそうだよ」と即答できるような余裕なんてボクにはない。っていうか、これって素直に答えるべきなのか? ボクってそんなに分かりやすかいんだろうか? いつバレたんだろうか。駄目だ、頭が全然働かなくて、気が付いたらボクは脊髄反射みたく答えてしまっていた。


「もしそうだって言ったら、どうするの?」


………何を言ってるんだボクは。これじゃあもう好きって言ってるようなもんじゃないか! ボクは飴凪さんを見ることも出来なくて、日誌に書かれた文字ばかり目で追っていた。飴凪さんの書いた字はちょっと崩れているけど、全体のバランスが整っているからか綺麗に見える。飴凪さんの視線を感じるけど、今顔をあげたら確実に何か余計なことを口走ってしまうだろう。思わずここから逃げ出したくなったけど、それも出来ない。それから、どのくらい時間が経ったのか。不意に飴凪さんはシャーペンを手に取ると、さっきまで迷っていた一日の感想の部分を埋めて日誌を閉じた。そして、荷物を詰めた鞄を肩に掛けると、右手で日誌を、左手でボクの右手を持って歩きだす。ボクは引っ張られるように椅子から立ち上がって、机に置いていた鞄に手を伸ばした。


「え、あの、飴凪、さん?」


しどろもどろになりながら名前を呼ぶと、飴凪さんはちょうど教室で出たところで足を止めて振り返った。予期せず目が合って、ボクは石になってしまったように飴凪さんを見つめ返す。


「苗木くん、もう一つ訊いてもいいかな」
「う、うん………」
「キミは私が初恋?」


その質問に、ボクは今度こそ項垂れそうになる。飴凪さんこそ、人の羞恥心を抉るのが好きなんじゃないだろうか。だけど、もうここまで来たらやるしかない。ボクは飴凪さんと繋いだ手が震えていないことを祈りながら、言った。真っ直ぐと目を見て、


――――そう、だよ」


飴凪さんの目が少しだけ大きくなる。けれど、飴凪さんはすぐに踵を返して廊下を歩きだした。ボクの手を握ったまま。彼女が何をしたいのか分からず、引っ張られるままに歩いていると、階段を降りている途中で彼女が言った。


「今日は赤飯を炊かなくちゃ」
「どうして赤飯!?」
「キミの初恋が実ったお祝いだよ」
「え――――それって」
「さてと。苗木くん、私は職員室に日誌を出してくるからちょっと待ってて」


今までボクの手を掴んでいた指がするりと解けて、飴凪さんは職員室へと日誌を届けに行ってしまう。 何がなんだか分からないが、えっと、ボクの初恋が実ったってことは、ボクの初恋は飴凪さんだから――――。 えっと、つまり、え………?


「よし。行こうか、苗木くん」
「え、あ………うん」


もはや半ば放心状態で、ボクは職員室から帰ってきた飴凪さんに頷いた。そうすれば、飴凪さんはいつもの目を細める様な大人っぽい笑い方じゃなくて、なんていうか、ふにゃりとしたすごく可愛い笑顔を浮かべる。そして、飴凪さんはその笑顔に見惚れる暇もボクに与えることなく、もう一度手を握ってきた。頭の混乱がさっきよりも収まっているからか、飴凪さんの手の温かさとか柔らかさとかがしっかりと分かって、息が止まりそうになる。


「あ、あの、飴凪さん」
「なに?」
「こ、これってその………自惚れてもいいん、だよね?」
「うん。自惚れちゃっていいよ。私も自惚れるから」


そう言って、飴凪さんはボクの手を強く、強く握った。