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「三途くんも何か欲しいものあったら籠のなか入れていいからね」


今日のお礼になんでも奢るよ、と言いながらセイカはカートを持ってスーパーの中に入っていく。内装はどこにでもあるような一般的なスーパーで、セイカは一つ一つ通路を巡りながら、目についたものをぽいぽいと無造作にカートの中へ入れていく。適当に買ってんじゃないだろうな、と思ってカートの中を覗き込んだが、きちんとオムライスの材料しか入っていなかった。商品を選ぶ仕草に戸惑いがないところを見るに、本当にあの時間だけでレシピを丸暗記出来たらしい。


「ねえ、三途くん。きゅうりってどんなのが美味しいの?」
「オムライスにきゅうりは使いませんよ」
「サラダも作ろうと思って。トマトは赤い方がいいんだよね?」


生憎と野菜の美味しい見分け方など知るはずもなく。セイカは両手に持ったきゅうりの重さや太さを比べ合って、左手に持っているものをカートの中にいれた。「レジってどっちだっけ」「出入口の隣です」「出入口?」「………こっちです」薄々思っていたのが、もしやこの少女は方向音痴なのかもしれない。カードを引っ張りながらレジまで案内して、並ぶ列の後ろにつく。夕食の買い物時よりもやや時間が早いからか、レジの列もそんなに長くはない。セイカが列の前を覗き込むと、二つ前の客の商品を読み込んでいたレジ店員と目が合い、慌てて姿勢を正す。


「あの、三途くん」


とんとん、と肩を叩いたかと思うと、口元に手を添えながらそのまま肩にもう片方の手を乗せて背伸びをしてくるセイカ。ずっと昔、妹が内緒話をするときに同じような動きをしてたな、と三途も自然と腰を屈めて高さを合わせる。どうやら予想は当たっていたらしく、セイカは三途の耳元に口を寄せて潜めた声で話し始めた。


「レジって、このままカートのカゴごと店員さんに渡せばいいんだよね?」
「それで合ってますよ」
「うん、ありがとう」
「スーパーくらいなら前にも来たことがあるんじゃないんですか?」
「まあ、そうなんだけど。昔のこと、もうあんまり覚えてなくてさ」


昔のこと、と言うのがマイキーの元を離れる前のことだと分かった三途は、すぐに口を閉じた。厄介な話題を突いてしまったかと思って彼女の横顔を盗み見たが、相変わらず淡く微笑んだままの顔で、彼女がどんな心情なのか読み取ることは難しい。ただ、その薄く引き伸ばした笑みに先ほど抱いたうすら寒さが見て取れて、三途は目を逸らした。これ以上、彼女から何かを読み取るのも、何かを汲み取るのも嫌だった。


「あ、三途くん。本当に欲しいものなかった? お菓子とかジュースとか」
「大丈夫ですよ。今はお腹いっぱいですし」
「それもそっか。食べ物以外とかでもいいけど」
「特にないので」


セイカの前に並んでいた客の清算が済めば、セイカがカートを進める前に三途が乗せていたカゴを片手でひょいと持ち上げて、レジの店員へと渡す。セイカがその一連の動作にびっくりして固まったのを見て、何がそんなに可笑しかったのかと三途は首を傾げた。


「どうしたんですか?」
「三途くん、力持ちだね………」
「馬鹿にしてます?」
「だって、三途くんすごい細いから」
セイカさんくらい余裕で持ち上げられますけど?」
「それは誇張しすぎなのでは」
「今すぐ証明してもいいですよ。やりましょうか?」
「信じます」


オムライスだけでは寂しいだろうと幾つかカゴの中には追加の商品が放り込まれていたが、それだってカゴの半分の容量も満たないのだ。日常の中に人を殴り飛ばす行為が組み込まれている時点で、意識的に鍛えなくても腕力はある程度勝手についてくる。確かに三途は東卍のなかでも力が強い方ではないが、それでも同性代の男よりはあるつもりだ。セイカはにっこりと笑って腕を広げた三途にぶんぶんと頭を振り、非礼を詫びた。そういや最初も女の子だと思ったとか言ってしまったんだっけな、とセイカは出会い頭の失態を思い出す。


(でも、本当に綺麗だもんなぁ。睫毛長いし、目はぱっちりだし、面長だし、髪綺麗だし)


これでも一般的に美形と呼ばれる類の面子に囲まれてきたので、顔の美醜に関してはかなり贅沢なレベルを常日頃から侍らせていると自負しているが、三途の美しさは(本人に言えばきっと盛大に顔を顰めるだろうが)“麗しい”という形容が本当に似合うのだ。性別を超えた、人間の造形基盤に予め敷かれた共通要素としての美をそのまま表面にまで引っ張り上げて来たかのような、中性的な美しさ。


(大人になったらどんな風になるんだろうな。このまま大きくなったらすごいことになりそう)


レジの会計に財布を開いたセイカは、ふとそんなことを考えている自分がいることに気付いて、愉快な気分になった。この日が終われば、セイカはもう二度とこの少年と会うことはない。たった一日、顔見知りになっただけの男の子だ。自分とは何の縁もない人。だからこそ、セイカは何の気負いもなく今日を過ごすことが出来た。無責任に、未来なんてものを考えることが出来た。もう関わることがないだろうと思っていたから、多少の感傷も無防備さも自分に許した。たった一日の思い出を作るにはちょうどいい、気安い相手だった。使い捨てにするための、安っぽい思い出。


「あ、三途くん。マイキーってまだたい焼き好きだったりするかな?」
「好きですよ。偶に買いに行ったりしますから」
「なら、お土産に買っていこう。スーパーの外に屋台が来てたよね、確か」


セイカは商品を袋に詰め込むと、意気揚々とスーパーを出てたい焼きの屋台へと直行していく。中身は粒あんと白あんとカスタード。たい焼きとしてはスタンダードのものが並んでいる。はて万次郎はどの味が一番好きなのだろうか、と首を傾げたセイカだったが、よく分からないならとりあえず全部買っとくか、とそれぞれ3つずつ買うことにした。マイキー、三途、エマの3人分だ。それぞれの袋に一種類ずつ入れてくれるよう頼んで、そのうち一つを三途に手渡す。


「はい、三途くんも一種類ずつあげるね」
「さっきお腹いっぱいって言った気がするんですけど」
「温め直しても美味しく食べられるんだって。これ、お店の人がくれた温め方が載ってる紙だよ」


セイカはたい焼き屋の店主から貰った紙を三途に渡し、また焼き立てのぬくもりが残る紙袋を上機嫌に抱えて歩き出す。後は佐野家に帰るだけだ。鼻孔を擽る甘い匂いにさっきまで満腹だった腹が食欲を訴え始める。温め直しても美味しいと店主は胸を張っていたが、やはりこういうのは焼き立てが一番だ。マイキーはもう帰っているだろうか。温かいうちに渡せたらいいな、と思いながら歩いていると、がしゃあんと硝子の割れる音が聞こえてきた。それも一枚二枚だけではない。バリンバリンと明らかに誰かが故意に硝子を砕く音に混じって、男の怒鳴り声も聞こえてきた。


「おいテメェ、こっちは客だぞ! 金払ってやってんのにその態度はなんだコラァ!?」
「駄目なもんは駄目だ! 学生さんに、タバコは、売れないよ!」
「あぁん!? 誰にもの言ってんだテメェ!」


怯えながらも正論を言い返す声には聞き覚えがあった。走り出して目の前の角を曲がれば、そこには小さな駄菓子屋がある。セイカが最初駄菓子を買い求めた店であり、小さいころ万次郎とよく通っていた駄菓子屋だ。セイカの記憶に残っている、数少ない過去とのよすが。店入り口の引き戸はすべて叩き割られていて、硝子の破片が道路のあちこちに飛び散っている。店の前に鎮座していた商品棚も倒されていて、その内一つがコンクリートブロックで壊される。ころころと道の上に転び出たカプセルを不良の一人がしつこく踏み潰す。とにかく、不良に襟元を掴まれて宙吊りになっているおばあさんを助けなければ。荷物を道端に置いて救出に踏み出そうとしたセイカだったが、その前進は襟ぐりを掴む強い力に阻まれた。


「何するつもりですか」
「何って、おばあさんを助けないと」
「お人よしですかあんたは」
「そういうのじゃないけど」


あのお店は、と言い淀んだセイカに、三途は思い出す。あの駄菓子屋が残っていて嬉しかった、と笑ったセイカの笑顔。昔、万次郎とよく通った店なのだと懐かしさに柔らかくなった声色まで鮮明に思い出してしまえば、もう駄目だった。


「………セイカさん、これ持っててください」
「え?」
「ここから動かないでください。いいですね?」
「私も」
「動いたら、後からあることないことマイキーに吹き込んで、思い切り怒られてもらいます」
「動きません」


たった1日付き合っただけで、随分とセイカに対する脅し方の精度が上がっている。まったく、今日はつくづくツイていない。まさに厄日である。こんなくだらないことで喧嘩をするはめになるなんて。三途は溜息を吐くと、腕まくりをしながら男たちへと近づいていく。手始めに、ボロい木目の商品棚を踏み壊すのに夢中になっている三下からにするか。


「オイ」
「あ? なんだぁテげぼっ」


問答も宣戦布告もなかった。顔を上げた男の顔を思い切り一発、拳を振りぬいて殴る。自分が壊した木片を巻き込んで地面に転がった男が起き上がろうとしているのを見て、今度はサッカーボールの如く米神を一蹴り、首に一蹴り、腹を踏みつけて、まだ呻いていたので、もう三発顔に拳を打ち込む。躊躇のない暴力、手加減のない攻撃はあっという間に一人を再起不能にした。


「なんっ、なんだテメェ!」
「うるせぇ死ね」


馬鹿丸出しで喋るな胸糞悪い、と三途は店への狼藉を止めてこちらへと向かってきた男たちを見た。四人。店主である老女を締め上げていた男は店主を放り投げると、三途の顔を見て「はっ」と嘲笑を漏らした。


「おいおい、誰かと思えば東卍のやつじゃねーか。相変わらず可愛い顔してんなぁ、嬢ちゃん」
「あ? 誰だてめぇ」
「東卍ってのは女も入れんのか? なんだったか。あーそうそう、顔採用ってやつ?」
「枕営業の間違いじゃねーのそれ」
「違いねぇ! 東卍のやつらに可愛がってもらってまちゅか~?」


この手の煽りは何度も聞いてきたが、だからと言って受け流せるのかと訊かれればノーである。というか、三途はもともと煽り耐性が低いのだ。まったく記憶にないが、自分の顔を知っているということは、以前東卍と小競り合いがあった面子なのかもしれない。そんな奴らが寄りにもよって、おそらくは偶然であろうが、万次郎の家の近くでこんな騒ぎを起こすとは。


「殺す」
「やってみろやァ!」


蹴り上げられたベンチが店内に飛び込んで、店主が悲鳴をあげる。相手は四人、こちらは一人。負けるつもりはないが無傷では済まないだろう。向こうが連携を取り始める前に潰してしまおう、と突っ込んでくる相手から拳を打ち込んでいく。その合間、セイカが割れ砕けた硝子を踏みつけながら老女へと走り寄るのが見えて、思わず舌打ちが漏れた。動くなっつったのにあのバカ女。幸い不良たちは三途に釘付けで、セイカは老女の元に辿りつくと、店の奥へと避難していく。


「そらよォ!」
「ぐっ………!」


一人が無造作に割れたラムネ瓶を振り上げる。簡単に断ち切られる服の裾と微かな痛みに、引きそうになる腰を下げて逆にタックルをかます。いつもの特攻服ならもう少し丈夫だろうが、今日はそんな丈夫さとは無縁の服だ。これなら学ランの方がまだマシだな、と思いながら押し倒した男の手元からラムネ瓶を取り上げ、逆に掌に突き刺す。あ、こいつさっき枕営業とか言ってたヤツだな、もうちょいやっとくか。瓶の持ち手に力を入れ、掌の中身を瓶の切っ先でかき回す。


「あがガッ! げえっ、やめ」
「うっせェ」


叫んだ男の口の中に転がっていたカプセルをねじ込み、下がった顎を膝で思い切り蹴り上げる。前歯が何本か折れた感触がしたが、悲鳴もなくなったのでこれで良し。その間に上から押しかかるように向かってきた男に頭突きをお見舞いし、落ちていた硝子の破片を顔めがけて投げる。怯んだ男を何発か食らわせてやろうと立ち上がったところでがくんと身体が下がった。髪を引っ張られる痛みに視線だけ後ろにやれば、そこには最初にのしたはずのヤツが膝をつきながらも三途の髪を鷲掴みにしていた。ふらついているところを見るに、完全に回復はしてないらしい。


「ゾンビかよきめぇ」
「死ねよおらァ!」


髪を引っ張られ、空を仰いだ額を掴まれ地面に押し付けられる。じゃり、と嫌な音がして首の後ろに熱が生まれた。地面にばらまかれていた硝子の破片が食い込み、起き上がろうと力を入れるほど切っ先が肌の奥へと潜り込んでくる。


「クソ、てめぇ」
「終いだぜ、嬢ちゃん」


留めを仕留め損ねた男が拳を作った。あーこりゃ1発もらうな、と三途は思考を切り替える。食らうであろう痛みを覚悟したなら、守りは捨てて次の反撃で倍やり返せばいい。何か武器に出来そうものは、と周りに視線を巡らせるが、運の悪いことに手を伸ばして届く範囲にそれらしいものはなく、上半身も羽交い絞めにされ動かせない。しゃーねぇ、と殴られたあとすぐに蹴りが繰り出せるように僅かに身体の位置を調節する。最悪、蹴り出した足を掴まれて技を極められる可能性もあったが、そうなったらそうなっただ。そう思い、高々と振り上げられた拳を忌々し気に見上げた瞬間、ふと影が落ちた。


「そーれ」


繰り出された足技の威力に釣り合わない、気の抜けた掛け声。影の軽やかさに似合わない、破格の打撃。三途を殴ろうとしていた男はその一撃を受けて吹っ飛んだ。横薙ぎに払った足はそのまま地面に付き、続く踵落としで三途を押さえつけていた男が撃沈する。


「なに、すげー盛り上がってんじゃん」
「………………マイキー」



特攻服がヒーローの羽織るマントさながらに翻る。軽やかに地面に降り立ったその影は、三途が世界で一番見つけてきたものだった。


2023.10.18