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「三途くん、あれなに?」
「ああ、ケバブですね」
「ケバブ? 日本でも食べられるんだ。あれにしようかな。三途くんはどう?」
「いや、オレは」


いいです、と辞退しようとしたタイミングで、三途の腹がぐるると音を鳴らす。この街の喧騒の中にあって聞こえたということは、結構大きな音だったのだろう。ぐ、と押し黙る三途。元々朝食はあまり摂らない性質なので、昼の時間もだいぶ下がった今、腹はとうの昔に空腹を訴えていた。セイカはにっこりと笑うと、三途の腕を引いてケバブ屋台の列へと並ぶ。やや昼の時間も過ぎているからか、さほど並ぶ必要もなく注文を受け付けるカウンターまで辿りつく。


「へえ、いろいろ種類があるんだね。三途くんはどれにする?」
「あー………サンドで」
「なら私はロールにしようかな」


セイカはメニュー表を指さしながら、ケバブサンドとケバブロールを一つずつ注文する。中からは香辛料の香ばしい匂いが漂い、キッチンの奥には中心を棒の鉄に貫かれて垂直に立つ肉の柱が見えた。ゆっくりと回転する肉の柱を大きな包丁でリズミカルに削いでいく様は、まるでサーカスか奇術師のステージを見ているかのようだ。慣れた手際で成形されたケバブを受け取り、再び歩き出す。セイカはさっそく一口、大きな口を開けてかぶりつくが、三途はじっとケバブサンドを見つめるだけだ。


「三途くん、食べないの? あ、もしかしてケバブ駄目だった?」
「いえ、」


当たり前の話なのだが、これを食べるのならば三途は口元を隠しているマスクを外さなければならない。そのことにどうしてか抵抗がある。もしも自分の口元に残る傷跡を見たとき、彼女はどんな反応をするだろうか。それを推し量れるほど、三途は彼女のことを知らない。生憎と、一生残るであろう傷跡にコンプレックスを抱えるほど、三途は自分の容姿に拘りはなかった。まあ、傷跡分をマイナスとしても、自分の顔がそこらのアイドルよりも遥かに整っているという自負はあるのだが。この傷跡を他人に見られることで刺激される劣等感も自尊心も持ち合わせていない。けれど、と三途は手の中の温かいケバブに目を落とす。


ただ、この女がどう思うのか。それだけが気になっていた。


しかし、このまま食べもしないケバブを持ち続けるわけにもいかない。三途はいつもなら大きく吐き出す溜息をセイカに気付かれぬよう、細く薄い吐息にして消化する。そして、出来るだけ彼女の注目を引かないよう、さりげなくマスクを下ろした。そして、何のぎこちなさも演出せずにケバブサンドを一口齧り取る。そんな三途の一挙一動を見守っていたセイカを、三途もまた見つめていた。セイカの視線は一度三途の口元にある傷跡を掠めたが、それだけだ。驚くでも興味を示すでもなく「あ、こんなとこにほくろあるんだ」ほどの関心の薄さで、逆に三途の不安を煽る。問われるのも煩わしいが、興味のない反応をされるのもそれはそれで癇に障る、だなんて。三途が嫌う面倒くさい女の思考そのもので嫌気が差してしまう。


「おいしい?」
「………おいしいです」
「良かった。これ食べ終わったら、今度は何か飲み物買おうか」


午前中よりも砕けた声色で笑うセイカは、それだけ言うと自分のケバブへと集中し始める。大口を開けて、ロールをぱくりと一口。しっかりと噛み千切って、臆面もなく舌鼓を打ちながら咀嚼を繰り返すセイカにはどこか幼さが滲んでいる。と思えば、口元についたソースを指で拭いながら舌で舐めとる行儀の悪さには強烈な艶めかしさがあって、その差に目が眩む。


「三途くん。ここから六本木って近いの?」
「は? 六本木、ですか」


あれよあれよという間にケバブロールを食べきってしまったセイカは、頭上で明滅する電光掲示板を見ながら三途に訊いた。昼間でも派手に点滅する電光掲示板には、最近六本木にオープンしたカラオケ屋の広告が目に痛いほどカラフルに光っている。六本木に行くには地下鉄を使うのが手っ取り早い、と伝えれば、やにわにセイカの目が輝いた。嫌な予感がする。


「日本の地下鉄かぁ………。三途くん、六本木まで行ったら駄目?」
「止めておきましょう。あそこには厄介なのがいるので」


六本木にはあの灰谷兄弟がいる。別に面識があるわけではないし、町をぶらぶら歩いて遭遇する可能性など万に一つくらいの可能性だろうが、その万が一が起きてもらっても困る。あと、ただ単純に六本木まで足を伸ばすのが面倒だ。三途の制止をセイカは素直に受け止め、今は一週間の天気を映し出している液晶から目を落とす。その眼は有象無象の雑踏のなかから誰かを探すかのように泳いでいたが、すぐに三途に向けられた。さっきまで若干の疚しさを持って凝視していた手前、なんとなくいたたまれなくなって、その気まずさを誤魔化すためにケバブサンドを口に含む。口元の傷がどう思われているのかなんて疑念はすっかり鳴りを潜めていた。


「六本木にもマイキーが作ってるみたいなチームがあるってこと?」
「まあ、そんなところです」


思わぬ方向から察しの良さを示されて、三途は困惑する。頭がよいのか悪いのか分からない女である。結局、セイカはそれ以上六本木に興味を示すことはなく、時折出される三途の指示に従いながら、右折左折を繰り返して街並みを歩く。新宿駅に戻ることも考えたが、距離で言えばは原宿駅の方が近い。散策がてら、原宿駅に近づけば近づくほどに歩道の密度は高くなり、店もひしめき多くなってくる。と、セイカの足が止まった。


「どうしました?」
「三途くん、あれなんだろう」


もう慣れてしまった、裾を引く感覚に足を止める。見れば、ゲームセンターの店先に小さな子供たちがわらわらと集まっている。なんだなんだ、と近づいて見てみれば、子供たちはセイカが順番待ちで並んでいると勘違いしたのか、ぱっと立ち上がりゲームセンターの中へと入ってしまった。見れば、店前にはカードダスとガチャポンがずらりと並べられている。子供たちが騒いでいたのは、どうやらカードダスの方らしい。セイカはガチャポンのラインナップを眺め、とある筐体の前にしゃがみこんだ。


「へえ、可愛い。一個回してみようかな」
「今日はカタチに残るものは買わないんじゃなかったんですか?」
「そんなこと言ったっけ」
「言いましたよ」


今日は思い出作りだけでいいのだ、とシリアス顔で言っていた数時間前の彼女はすでに消えてしまっているらしい。まあ、だからと言って別にこちらが困るわけではないし、と三途はセイカの好きにさせようと同じく隣にしゃがみ込む。ガチャポンなんて久しぶりに見た。


「どれが欲しいんですか?」
「うーん、これかな」


ありきたりな動物をまるっこくデフォルメしたキーホルダー。どうやら干支をモチーフにしたものらしい。なんとなく、こういう万人受けを狙ったものも好きなのか、と意外な気持ちになる。三途はセイカのことを浮世離れした世間知らずと認知していたので、同年代の少女たちがカワイイカワイイと頭悪く騒ぐものに興味を持っていることに不思議な感慨を覚えた。なんなら、隣にある『宇宙人大百科』と銘打たれた、エイリアンもどきのキーホルダーを選んでもらった方がまだ衝撃は少なかった。


「よし、回そう。100円玉あるし」


セイカはしゃがみこんでいそいそと財布を取り出すと、一回300円と書かれた小銭投入口に百円玉を三枚滑り込ませる。それからハンドルを回せば、がこんとカプセルが一つ落ちてくる。取り出したカプセルを開いてみると、団子のような丸い顔に、これまた大福のように丸い身体のついた猫のキーホルダーが出てきた。


「あれ? ネコって干支だっけ?」
「シークレットってやつじゃないですか? ほら、これ」
「あ、ほんとだ」


カプセルの中に同梱されている説明書には『シークレットもあるよ!』と黒く塗り潰されたシルエットが干支一覧に混じって描かれている。セイカは目の前でキーホルダーを揺らし、一度それをカプセルの中に戻すと駄菓子の入ったビニール袋へと放り込み、また300円を投入した。どうやら目当てのものではなかったらしい。先ほどよりも力強くハンドルを回し、落ちてきたカプセルを開く。


「どうでした?」
「またネコだった………」


シークレットを連続で引き当てるというラッキーに恵まれたものの、本人はしょぼんと肩を落とす。ちなみに何が欲しかったのかと訊けば、トカゲ、もとい龍が欲しかったらしい。運が悪いのか良いのか。しかし、セイカはもう引く気はないらしく、財布を仕舞うと手の中で転がしていたキーホルダーを三途へと差し出してきた。


「三途くん、いる?」
「いいんですか?」
「うん。ダブっちゃったし、シークレットってレアでしょ? 今日の記念ってことで一つ」


それとも、男の子ってこういうの嫌かな、とセイカはしゃがんだまま三途の顔を窺う。じっと見つめる表情にはおどけた様子も不安げな色もなく、媚び諂うようないやらしさもない。単純なYESかNOかだけを求める簡潔さは三途の好むところである。分かりやすいのはいい。けれど、それ以上に気分が上向いたのは、さっきまで自分を「女の子みたいだ」と言っていた彼女の口から、自分を男だと意識している言葉が出たからか。


「なら、遠慮なくいただきます」
「ほんと? じゃあプレゼント」


出した掌の上にころりと転がされたキーホルダー。先ほどセイカがしていたように目の前にぶら下げてみるが、三途にはこのデザインの良さも可愛さも分からない。セイカは渡しただけで満足したのか、特に感想を求めることもなく立ち上がる。


「おそろいですね」


思いついた言葉は脳を通らず、脊髄から舌へ直接伝播された。零れた言葉は聞かせようと思ったものではなかったため、独り言の声量だったが、彼女の耳には届いてしまったらしい。きょとりと三途の言葉の意味を拾いかねているセイカの前で一つキーホルダーを揺らしてみせれば、セイカは一度ぱっと大きく瞬きしたあと「うん、おそろいだ」と朗笑する。一体何がそんなに嬉しいんだか。自分の言葉に予想を凌ぐ反応を見せられ面食らった三途は、言わなきゃ良かったと顔を顰めた。




2023.06.18