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「あ、お財布買わないと。三途くん、お店とか分かる?」
「あー………」


そういえばそんなことを言ったな、と三途はつい先ほどの発言を思い出し、辺りを見渡した。百貨店か雑貨屋でもあればいいが、生憎と見渡せる範囲にはなさそうだ。まあ、道中適当な店があるだろ、と繋がれたままの手を引っ張れば、セイカも大人しく従って歩き始める。横に並んだセイカはさっきのおのぼりさんのような反応をするわけではなく、並ぶ店に目をやるくらいで大人しい。じっと見ていたことがバレたのか、セイカが「どうしたの?」と首を傾げる。


「いえ。さっきは首が取れそうなくらいきょろきょろしてたのに、今は大人しいなと思って」
「そう?」
「渋谷駅まで歩いたときはあちこち飛び出してたじゃないですか」
「あの辺りはまだ小さいころの行動範囲だったからさ。わー懐かしいなーとかテンション上がってたけど、この辺りはほとんど来たことないから、そんなに見るものもないし」


あと、新宿駅で揉まれてちょっと落ち着いた、と笑うセイカ。今歩いている大通りも土日なので人通りはあるが、さっきの構内ほどではない。この様子なら勝手に他所にいくこともないだろうし、手を離しても大丈夫そうだ。そう考える頭はあるのに、身体は動かない。どちらかというとセイカの方が強く三途の手を握っているので、これは自分が繋いでいるのではなく彼女が勝手に掴んできているのだ、という解釈で自分を落ち着かせる。女の手を振り払うなんて、今まで何度もやってきているくせに、何を今更躊躇しているのか。


――――あのお店とかいいんじゃないですか?」
「え、どこ?」
「ほら、あそこです」


三途が指さした先には、可愛らしい手書きの文字が書かれたメニューボードが一つ出された雑貨屋があった。行ってみよう、とセイカが足を速め、その拍子に繋いでいた手がするりと解ける。咄嗟に離れていった指先を追って手が動いた。思ったより力んでいたのか、がしりと掴めてしまったセイカの手に、やべ、と声が漏れる。


「? 三途くん?」
「あ、………ほ、ほら、信号変わりそうですよ」


タイミング良く点滅し始めた歩行者用信号を見て、セイカが「本当だ。ありがとう、三途くん」と感謝を述べる。三途は今日一日でもう何度聞いたか分からない、彼女の声で紡がれる自分の名前と感謝の言葉に、むず痒さを感じた。なんで掴み直してんだ。つーかお前もしっかり手ぇ繋ぎ直してんじゃねーよバカ。ただ掴んでいたセイカの手は、もぞもぞと三途の手の中で位置を調節して、再び掌と掌をしっかりと合わせた繋ぎ方に戻った。盗み見た表情はいたって穏やかで、緊張の色など一切見えない。男と手を繋ぐことくらい、なんでもないとでも言うのだろうか。


(なんだコイツ。男慣れしてんのか)


それとも他人とのスキンシップに抵抗を感じないタイプなのか。今まで外国にいたというし、見た目からしておそらく片親が外国人であろうから、そうかもしれない。しかしそう考えてもどこか釈然としない苛立ちが残るのはどうしてなのだろう。


「三途くん、信号変わったよ」
「………行きましょうか」


くい、と手を引かれて信号を渡り、店の中へと入る。なんだかどっと疲れた。まだ昼も回ってないのに。喧嘩で溜まる疲れとはまた違うストレスに、思わず溜息が零れる。いらっしゃいませ、と店員らしき女の声が聞こえて、今度こそ繋がれていた手が解ける。今度は三途も追いかけるような真似はしなかった。入った雑貨屋はどうやら当たりだったらしく、鞄や帽子、小物が売っていて、その中にはハンドメイドらしき革製の財布も置いてあった。セイカは店内を一周し終えると、真っすぐと財布の棚まで行って吟味し始める。女の買い物は長いというが、彼女は幾つか財布を手に取ったあと、あっさりと商品を決めた。てっきり意見を求められると思っていた三途は、何も言わずさっさとレジに行ったセイカにまたもや心がささくれ立つのを感じる。けれど、財布を買うためにセイカが取り出した現金入りの封筒に引きつる店員の表情を見て、三途は溜飲を下げた。やっぱそういう反応になるよなァ。


「何にしたんですか?」
「これ。ほら、ここに星のアクセサリがついてるの。可愛いなと思って」


セイカはファスナーの引手に吊り下げられた銀色のアクセサリーが気に入ったらしい。さっそく封筒に入った現金を少しばかり財布に移し(さすがにあの量の札束をすべて入れることは出来なかった)、ここに来る前に買った駄菓子の入った袋に戻す。


「そんな口がガバガバの袋に入れたら、あっという間にスられますよ」
「大丈夫。ちゃんとぎゅって握っとくから」


ほら、とセイカは口を鷲掴みにした袋を持ち上げて得意げな顔をしてくる。はーなんだコイツ可愛いな? なんて呟きが一瞬過ぎって、すぐに打ち消す。違う、バカっぽいって言いたかったのだ自分は。うん、きっとそうだ。財布も買ったのだから、ついでに鞄でも買えば良かったのに。己の乱心を誤魔化すためにそういうと、セイカは一瞬だけ言葉を止めて、その短い沈黙を埋めるように早口で言った。


「今日は思い出を作りに来ただけだから。あんまり形に残るものは買わないって決めてるの」


言い終わるや否や「財布は買っちゃったけどね!」と手に持った袋をがさがさ揺らすセイカ。シリアスな言葉を言われたような気がするのだが、当の本人は「あ、あそこに売ってるお菓子美味しそうだね」とのほほんとした空気を醸し出しているので、どんな温度で受け取ればいいのか分からない。とはいえ、彼女も自分みたいな初対面の人間に深く突っ込んで欲しくはないだろう。三途は先程の言葉は聞こえないふりで流し、残りの新宿御苑までの道程は黙って歩くことに徹した。


「すごーい。あ、鳩だ!」


新宿御苑の新宿門に辿り着いたはいいが、ここで一つ問題があった。本来ならば新宿御苑における中学生の入場料は無料なのだが、二人は学生証など持っていなかった。しかも、二人とも顔立ちは大人びており、服装もどちらかとシックな装いを纏っていたので、中学生だと言っても信じてもらえなかったのである。学生は学生証の提示が必要ですので、と困ったように言う係員に、セイカは仕方ないと大人二人分の料金を払い、新宿御苑の入口を跨いだ。


「ね、三途くん。ぐるっと回ってもいい?」
「また勝手に走り出さないでくださいね」
「分かってる!」


本当に分かっているのだろうか。犬ならリードに繋げておけるのに、と思い、次いで赤い首輪とリードがついているセイカを想像した。――――かなりイイ。すぐに撤回。何を考えているのだろうか。やっぱり今日の自分はどこかおかしい。


(やっぱ寝不足が祟ってンのか。クソ、とんだ厄日じゃねぇか)


梅雨にしては珍しく雲の少ない今日は、日差しがやけに眩しく感じられる。ともすれば頭痛を引き起こしそうな強烈な陽光に目を細めながら、三途はセイカの姿を見失わないことに集中する。一応こちらのことも考えているのか、あまり遠くまでは離れず、しかし落ち着きとは無縁の忙しなさであっちを見てはこっちを見て、子供のようにはしゃいでいる。


(つーか新宿御苑って。わざわざ来て見るようなモンもねぇだろ)


新宿御苑は大まかに分けて日本庭園・風景式庭園・整形式庭園と三つの庭園で分かれており、四季折々の花が咲き誇っている。今は6月、季節的に言えば紫陽花や山梔子、夏椿などが盛りであろう。セイカは花壇に設置された案内を読みながら、ぶらぶらと歩く。けれど、その表情は曇っており、歩き方にも先ほどの溌剌さがない。時折立ち止まって、ぼうっと大輪の花たちを見る。それからきゅっと眉を寄せて、また歩き始める。その繰り返し。放っておけばいい。そう思いながらも、三途はその背を追いかけながら声をかけてしまう。


セイカさん、大丈夫ですか?」
「え?」
「いえ、なんだが元気がないように見えたので」
「ああ、うん。私、花はあまり好きじゃないの」
「そうなんですか?」
「うーん。正確には好きなんだけど、今はあんまり見たくない気分というか。――――今は嫌い」


嫌い。ぽつり、と言った表情に嫌悪はない。どちらかというと息苦しそうな、喉につっかえたものがなかなか飲み込めずに悪戦苦闘しているような、そんな顔をしていた。なのに、彼女はどんどんと花の中を進んでいく。咲き誇る青い紫陽花のなかでも、裾を揺らす彼女のスカートはなお青い。日本ではあまりお目見えしない、原色そのもののビビッドブルー。


「でもやっぱり、綺麗なものは綺麗だからさ」


やや雲の陰りが強くなってきた昼中を歩く彼女は、どこにでもいる一人の子供だった。昨日、あの夜、初めて見たときに天啓の如く落ちてきた『妖精』の印象はそこにはない。それでも、彼女がブーツで慣らす靴音はどこか異国の音楽のように不可思議なリズムを刻んているみたく聞こえたし、揺れる赤みの強い髪は太陽の光を吸い込むと煌めく黄金に見えた。それからどのくらい歩いていたか。そろそろ昼の頂点も過ぎただろうというころ、セイカはぴたり、と足を止めた。


――――ここ」


セイカが立ち止まったのは、新宿御苑のなかでも名物スポットであるプラタナス並木の入口だった。今の季節ではまだ緑に茂っている普通の並木道だが、落葉の季節ともなれば葉は黄色く色づき、ドラマのワンシーンに出てくるような情緒を擽る光景が出来上がる。ふらり、と吸い込まれるように並木道へと方向転換したセイカの背中を三途も追う。振り向かれても彼女の表情が分からないくらいに距離を離し、けれど、声で呼ばれればすぐに分かる程度には近さを保つ。セイカは途中に備え付けられているベンチにどしんと腰を下ろした。三途は変わらず彼の歩調でセイカへと近づき、ベンチに腰を下ろす。


「そういえば、聞いてなかったですね」
「ん?」
「ここに来たかった理由」
「そうだっけ?」
「そうですよ。なんの説明もなく『新宿御苑に行きたーい!』って言ったんじゃないですか」
「私そんなテンションだったっけ?」


はて、と首を傾げたセイカだったが「まあいいか」と三途の甲高い声による物真似を軽く流して、口を開いた。


「私ね、昔家族でここに来たことがあるの。で、向こうから一緒に歩いてきたんだけど、並木道を歩いているうちに、親が喧嘩始めちゃっててね。何がきっかけかは思い出せないけど、並木口の入口にいるときはまだ和やかだったのに、出口についたときはすごい剣幕で怒鳴り合ってて」


それから私、二人にどうにか仲直りして欲しくってさ。途中で薔薇園があるのを見つけたから、そこで花を一つとってきちゃったの。母親も父親も薔薇が好きだったし、一番きれいな薔薇を持っていけば、二人とも仲直りしてくれるかもしれないって。だけど、実際持っていったら、二人して怒鳴ってきてね。公園の薔薇は取るなって書かれてたでしょう、なんでそんな悪いことするの。それでまた二人とも喧嘩。怒鳴りつけるなんて酷いとか、君の教育が悪いからこんなことをする子になる、とか。


「で、私、結局薔薇を捨てちゃったんだよね。あんなにきれいな薔薇だったのに」


まあ、しばらくすれば二人ともヒートダウンして、謝ってくれたよ。酷いこと言ってごめんね。こんなお父さんとお母さんでごめんな。それで帰りに、父親にこっそり聞いたの。またここ来られる? って。そしたら、お前がいい子にしてたらね、って。そう言ってくれたんだけど。


「帰ってきたら二人ともいなくなってたの」
「………恨んでますか、両親のこと」
「え? なんで?」
「だって、貴女を置いていったんでしょう? 誘拐された貴女を探そうともせず」
「まあしょうがないよ。勝手に消えた私が悪いんだし。元々、母親の方は自分の国に帰りたがってたみたいだし」


自業自得だ、と言うセイカの横顔に悲愴な影など微塵もなく、かといって明るく取り繕うというでもなく、まるで他人事のように語る。緑翠色の瞳は太陽の光の下で見れば薄く青色のセロファンが被せたような色合いをしていた。笑みも悲しみもない凪いだ表情は、昨夜、あの境内で万次郎に見せていたものと同じである。万次郎のクラスメイトだったという少女。自分が王と戴く万次郎にあれほど執着されている少女。一体、この少女にそれほどの価値があるのか。


「………マイキーとは、どういう関係なんですか?」
「小学校のときの友達だよ」
「トモダチ」


予想通りの言葉だった。予想通りだったからこそ納得のいかない言葉だった。三途は彼女のことを何も知らない。彼女と万次郎の間に何があったのかを知らない。万次郎が彼女にあれほど拘る理由も、彼女がただ会いたくなったからという理由で、わざわざ海を越え、危ない橋を渡り、ここまでやって来た理由も知らない。


(事件とやらのことも、マイキーとの馴れ初めも、聞けばこの女は教えてくれる)


きっと気負いなく、今のように柔和な笑みで、或いはもっと楽し気な声色で三途の知りたいことを語ってくれるだろう。けれど、三途の口からその問いが出てこない。自分は、万次郎のことならなんでも知りたいと思っていた。いや、今でも思っている。彼の好きなもの、嫌いなもの、欲しいもの、疎んでいるもの、どんな世界を見ているのか、どんな未来を求めているのか。もちろん、自分如きが彼と同じものを感じることなど出来るはずがなく、同じものを見るなんて烏滸がましいにも程があるということは十二分に理解している。それでも知りたいと、そう思っているのに。だから、目の前の女にも訊けばいいはずなのに、強い拒絶が喉を防ぐ。―――――そんなもの、知りたくもない。


「三途くんはマイキーの部下? になるの?」
「………そうですね。そうなります」
「そっかぁ。とうきょうまんじかい、だっけ。暴走族みたいなやつなんでしょ? やっぱたくさん喧嘩とかするの?」
「まあ、それなりには」
「今日も喧嘩しに行ってるんだよね。マイキー、怪我とかしてないといいんだけど」
「無敵のマイキーですよ? 怪我なんてしませんよ。心配ですか?」
「そりゃ心配だよ、大切な友達なんだから。――――大丈夫かな、マイキー」


しゅんと肩を丸めてブーツの爪先で地面を弄るセイカに、三途は無難に「大丈夫ですよ」と声をかけるしか出来なかった。自分としては珍しく親切心だけで言ったつもりなのに、響いた声は思うより突き放す冷たさを帯びていた。セイカも三途の不機嫌を汲み取ったのか、顔を上げて三途の様子を見やる。ぱちくりと無言の疑問形を向けてくる視線が鬱陶しくて、にっこりと即席スマイルを製造、張り付け。三途の被っている猫の皮はとても厚いのだ。


セイカさん、お腹空きませんか? もうお昼ですし、そろそろ食事にしません?」
「う、うん、そうだね………?」


不愉快そうな声を出したかと思ったら、満面の笑みで次の予定を決められる。セイカは自分が三途の地雷でも踏んだのかと思ったが、にこにこと笑いながら昼食の候補を挙げていく三途を見て、思い過ごしだったようだと気を取りなおした。なんだかよく分からないが、怒らせたと思ったのは自分の気のせいだったらしい。新宿御苑の中にもレストランはあるが、せっかくなので新宿をぶらつきながら、食べ歩きなどもしてみたい。行儀は悪いが、食事をしながら街も見て回れる。一石二鳥だ。新宿御苑を後にした二人は、入園に使った入口とは正反対の千駄ヶ谷門から退園して、ぶらぶらと散策を開始した。


「三途くんは何か食べたいのある?」
「いえ、特には。セイカさんは何かありますか?」
「うーん。たこ焼きとか食べたいな」


たこ焼き。まさかのチョイスである。そんなものがこの辺りの道端で売っているとは思えないが。もちろんそんなことは指摘せず「こってりしたやつですね」とやや軌道修正を加えれば、「うん、そんな感じ」とセイカは簡単に乗ってきた。しかし、大通りに出てそれほど歩かないうちに進路を防がれる。三途は身に覚えのあり過ぎる流れに思い切り顔を顰めた。


「ねえキミたち、二人だけ? 他に連れとかいないの? 良かったら俺たちと遊ばない?」
「いやー、すっごい美少女じゃん二人とも。お茶奢るよ?」


いかにも遊び慣れていますといった雰囲気の男が三人、にやにやと下卑た笑みで口元を歪めて二人の前に立ち塞がる。今の発言からも分かる通り、この三人は三途を女だと勘違いしている。なーにが美少女だブチ殺すぞ。こういう輩は大抵、三途が「は?」とドスの効いた低い声で睨みつければ、すぐに自分の勘違いを悟って逃げ出す。偶にトチ狂って「男でもいいから」と手を出してくる馬鹿もいるが、それも拳一発お見舞いすれば簡単に撃退できる。今回も例に漏れず、三途は一発殴って終わらせようと前へ踏み出す。だが、その前にセイカが二歩足を進め、三途を背に庇うように身を乗り出した。


「お、なに? 結構乗り気な感じ?」
「Braf cwrdd a chi!」
「え?」
「Rwy'n cerdded nawr.Dwi'n llwgu.」
「え、何語?」
「Gyda llaw, nid yw'r dillad yn edrych yn dda. Nid yw eich synnwyr yn dda iawn. Mae eich llais yn jarring iawn.」


次々に羅列される言葉、言葉、言葉。これが英語であれば三途も辛うじて聞き取れたかもしれないが、セイカの口からマシンガンのように繰り出される言葉は、まったく耳慣れない響きだ。ニコニコと笑いながら、早口で意味不明な言語を並べ立てられる様は普通に恐ろしい。いっそ狂気さえ感じる。男たちもその理解不能さに耐えられなくなったのか、顔を見合わせるとスタコラと逃げていった。その背中を、セイカは手を振って見送っている。


「よし。行こっか、三途くん」
「………なんですか、今の」
「前に教えてもらったナンパ撃退法。特に日本人は言葉の通じない外国人が苦手だからって」


ものすごく効果あったね、と無邪気に笑うセイカ。なるほど、確かに日本人にとって言葉の通じない相手というのは、宇宙人に近い感覚であるから、そんな相手に根性を出して口説き通そうなんて輩は早々いないだろう。ましてや、魔法の呪文のように聞いたことのない響きであればなおさらである。


「英語、じゃなかったですよね」
「うん。あれはウェールズ語。ウェールズって知ってる?」
「いえ………」
「ま、イギリスの一部みたいなとこだよ」
「母親がそこの出身なんですか?」
「ううん、これは向こうにいった後に覚えたの」


ますますセイカに対する謎が深まる。つまり彼女は日本で誘拐され、ウェールズとかいうところに住んでいたということか? 一体どんな人生を歩んだらそんな風になるのだろう。まったく想像できない。折を触れ喚起される彼女の薄暗い事情に、三途はどう返せばいいのか分からず押し黙る。一方セイカはそんな三途の様子になど頓着せず、悪戯が成功した子供のように「ふふ」と肩を揺らすと散策を再開した。


「三途くん、綺麗だもんね。私も最初、女の人かと思っちゃったし。マスクしてても美人って分かっちゃうよね」
セイカさんも可愛らしいですよ」
「はは、ありがと。もしかして、こういうこと結構あったりする?」
「まさか。今日はセイカさんが一緒に歩いているからです」
「私の所為ってこと?」
「はい」


どういう理屈なの、とセイカは理不尽な責任を押し付けられながらもケラケラと笑っている。ところで、と三途は再び歩き始めたセイカに訊いた。あの言葉はさっきなんと喋っていたのだろう。気になって聞いてみれば、セイカは振り返って答えた。


「服のセンスありませんねって言った」
「は――――ふ、んんっ、はは」
「すごい笑うね」
「いえ、すみません。なんかツボに入って」


あんなに可愛らしい笑顔と人懐こい声色で話しかけていたのに、まさかの悪口。確かに三途もあの服のセンスはないと思ったけれど。相手の男たちも、まさか服のセンスにケチをつけられていたとは夢にも思うまい。自分でもなんでこんなにツボに入っているのか分からない。一頻り笑ってしまえば、女に間違われたことへの苛立ちもすっかり消えてしまった。






2023.04.19