+     +     +



その日は風もなにもない蒸し暑い日だった。


「お疲れ様です、マイキー」
「ん」


昼間に雨が降っていた所為か、じめじめと空気が蒸してうざったい。髪をまとめるなり、或いは少しでも風があればもう少し過ごしやすくはなるのだろうが、生憎と髪をまとめるヘアゴムは昼間の喧嘩でご臨終したばかりだった。今日も今日とて王たるマイキーの背を見つめながら、集会へと向かう。いつもならマイキーの登場にざわつく面子は自然と姿勢を正し、頭を下げる。だが、今日はその『いつも』と様子が違った。


「なんだ、揉め事か?」
「どーしたの、ケンチン」
「いや、下っ端どもがなんか騒いでやがる」


見れば、顔を覚える価値さえない雑魚共が何かを囲むようにして人の壁を作っていた。どうやらその中央で誰かが乱闘を繰り広げているらしい。オイオイ、ここで内輪もめ持ってくるとか馬鹿かよ。マイキーの前だぞ殺してやろうか、と思っていると、ドラケンが事情を聞き出そうと近くの雑魚を一匹釣り上げた。


「おい、なにしてやがる」
「いや、オレもよく分かんないんスけど、ちょっと前に女が一人やってきて」
「女だァ?」
「なんかマイキーを探してるとかって言ってたんスけど、ほら、この頃うちに入った小さなグループがあるじゃないスか。そのうちの一人がその女に絡んじゃって、それで」
「は? お前ら女ボコってんの?」
「ち、ちがくて」


そういって、ドラケンに胸倉を掴まれて踵が浮いている雑魚は震える手で乱闘騒ぎの中央を指さした。ドラケンとマイキーが肉の壁に近づけば、そいつらもやっとマイキーの登場に気付いたのか、慌てて頭を下げながら道を開く。開けた肉の壁の向こう、最初に目に入ってきたのは、地面に倒れ伏した数人の東卍メンバーだった。顔を覚えてないため、そいつらがさっきの雑魚が言っていた新入りなのかは定かではない。そして、倒れている人数と同じだけの数の男たちが、一人を囲むようにして各々武器を取っている。そうして、そんな暴力の中心にいたのは。


――――――――


妖精。


――――――――


そんな、到底自分には似合わない、縁遠い言葉がするりと出てくるほどに、その女は浮世離れしていた。フランス人形が着るような白いフリルブラウスに、目が痛くなるほど鮮やかな青いハイウエストスカート。男の拳をダンスターンの要領でくるりと交わせば、赤みがかった茶髪がこの場の血生臭さとは場違いなほど、柔らかく靡く。


「……………なにもんだ、あのオンナ」


どこかで誰かが呟く。その声には怯えが混じっていて、けれどそれを情けないとは責められなかった。女の身体捌きは決して大きくはなかった。暴力というよりは舞踊、戦いというよりは遊戯。そんな軽やかさがあった。けれど、彼女の爪先は的確に急所へのめり込み、突き出された膝は必殺の威力を持って骨を砕く。くるくると踊るみたいに、遊ぶみたいに、時には翻るスカートの裾が広がりすぎないよう気にするくらいの余裕さを見せつけながら、気が付けば女に絡んだらしい男たちは全員地面に沈んでいた。


「なんだアイツ。おい、マイキー。………マイキー?」
「? どうかされましたか、マイキー」
――――――――“マイキー”?」


ドラケンの訝し気な声が聞こえると同時に、自分達の呟きが届いたのだろう、女の声が響いた。まるで強く打ち鳴らした鐘の音のように、喧騒のなかでも真っすぐ聞こえてきた声に反応したのはマイキーだけだった。マイキーは大きく目を見開いたまま、固まっていた。それこそ幽霊か幻でも見たかのような表情で凍り付いている。それからふらり、と一歩踏み出して、ぽつり、と呟いた。


「………セイカ


その声はあまりにも小さく、おそらく両隣にいた自分とドラケン以外には聞こえなかっただろう。周りの雑魚どもはただならぬ様子のマイキーと、突然現れ男たちを全員叩きのめした女がどういう関係なのか、息を潜めて見守っている。というより、下手に動けないと言った方が正しいか。破裂寸前の風船みたく張りつめた空気のなかで、最初に動いたのは女の方だった。


「ただいま、マイキー」


女はぱっと表情を華やがせると、さっきまでの滑らかな動きの欠片もない、ガキみたいな駆け寄り方でマイキーへと近づいてくる。乱れた髪を手櫛で整えながら近づいてくる女の前に、同じタイミングでオレとドラケンが立ち塞がれば、女はきょとんとした顔で立ち止まり、次に不安そうな顔でマイキーの顔を窺うように身を屈めた。


「あの、マイキー。私のこと覚えてる? 覚えてる、よね? さっき名前呼んでくれてたし」
「………………」
「突然ごめんね? マイキーがここにいるって聞いて来たんだけど」
「………………」
「その、絡んできた人たちに関しては、正当防衛とはいえちょっとやり過ぎたかもと反省してるというか」
「………………」
「………お、怒ってる?」


びくびくと、さっきまでの立ち振る舞いが嘘のように怯えながらマイキーに声を掛ける女。その女の目が驚いたように見開かれたのと、ドラケンとオレの間をすり抜けてマイキーが走り出し、女に突撃したのはほぼ同時だった。女はその勢いをまともに正面から受けて、後ろに仰け反り尻もちをつく。マイキーは半ばその女に覆いかぶさるようにして、女の身体を締め上げていた。


「マイキー? あの、いた、痛い痛い痛い」
「………本物だ」
「うんそう本物だよ! だからちょっと、あの、あいたたた」


よほど強い力で締め上げているのか、女の足がマイキーから逃げようと石畳を弱々しく蹴る。しかしマイキーはどくどころか押し潰すように更に女に体重をかけ、かと思えばいきなり女を肩に担ぎ立ち上がった。まるで抱き枕でも持ち上げるような軽々しさで担ぎ上げられた女の身体をがっしりと掴み、マイキーはこちらを振り向く。


「ごめん、ケンチン。今日の集会中止な」
「はあ?」
「よろしくー」
「ちょ、待てマイキー。ちったぁ説明――――ああもう、三途、追いかけろ!」
「分かりました」


ドラケンは「今日は解散だ解散!」と集まっていた構成員たちに叫び、その間にもマイキーは女を一人運んでいるとは思えないほどの身軽さで進んでいく。いつも集会の場所として使われている神社の境内、鳥居をくぐって階段を上り、更にその奥にある拝殿の方まで。通常は階段の最上段が王座の代わりとして使われているので、ここまで入ってくることは滅多にない。担がれた女は抵抗するわけでもなく、されるがままマイキーに運ばれている。追いつくころには、マイキーは賽銭箱の横を通り過ぎ、拝殿の階段へと腰を下ろしていた。


「………」
「………」
「………」


マイキーは女を後ろから抱え込むように片膝の上に乗せて、額を女の肩に押し付けたまま動かない。女は腰に回されたマイキーの腕に手を添えて、困ったように眉を寄せている。どうやら訳アリらしい。出来るだけマイキーの気を煩わせないよう、気配を消しながら近づくと女はゆっくりとこちらを見て、ぱちくり、と目を瞬かせた。おそらく外人の血が入っているのだろう、その瞳は日本では珍しい緑色だ。赤みを帯びた髪もそう。それからまじまじとオレの顔を見た後、一度マイキーを振り返り、またオレを見た。じいっと見つめてくるその瞳があまりにも居心地が悪くて、思わず声を掛けてしまう。


「………なんですか」
「あ、いや………男の人ですよね?」
「は?」
「ごめんなさい。すごく綺麗だったから、一瞬どっちか分かんなくて」


なんて笑う女の言葉に眉を顰める。自分の容姿については理解してる。髪を伸ばしているのも相まって女に間違われることがあることも、顔立ちが整っていることも知っている。綺麗だ、なんて褒め言葉はそれこそ日常茶飯事でもらっているもので、だから大して嬉しくもないし、むしろ言われれば不快に思う方が多い。けれど、今回はただただ落ち着かないだけだった。なんだか心が浮ついてじっとしていられない。その妙な感覚を和らげるためにマスクを引き上げ、視線を逸らす。境内の方では少しずつ人の声が少なくなり、この時間に在るべき静寂が戻ってきている。ドラケンが上手くメンバー達を散らしたのだろう。しばらく待つと、ドラケンが階段を上り拝殿の方へとやってきた。


「おい、マイキー。一体何がどうなってる。その女は誰だ」
「………」
「さっき、セイカとか呼んでたな。もしかして、コイツが例の女か?」
「ドラケン、知ってるんですか?」
「まあな。6年前、この町で子供の誘拐事件があったんだよ。覚えてるか?」
「いえ、すみません。そうなんですか?」
「ああ。で、その誘拐されたってのが、マイキーのダチだった。そのダチの名前はセイカだ」


それはつまり、今目の前にいる女がその誘拐事件の被害者だと言うことなのだろうか。驚いた顔で女を見るオレとドラケンに、女――――セイカはばつの悪そうな笑顔を浮かべて、言った。


「はい。それ、多分私です」


いやぁ、びっくりしました。久しぶりに帰ってきたら自分の家が跡形も無くなってて、マイキーの家に行ってもおじいさんしかいなかったし、どうしようか迷ったんですけどとりあえずマイキーには会っておこうと思って。そうヘラヘラ笑いながら話す様子は、到底事件に巻き込まれた被害者とは思えないほど呑気なものだった。


「そうそう、マイキー。私のお父さんとお母さん、どこに行ったか知ってる?」
「………知らねー。お前がいなくなって一年ぐらいして、離婚して町出てった」
「そっか。まあしょうがないか。あの頃から仲悪かったし。子は鎹って本当だったんだね」
「………なあ、お前、セイカなんだよな?」
「うん、そうだよ」
「そっか。うん、だよな。オマエ―――――おっせぇんだよこのバカ女!」


怒りの叫びが聞こえるや否や、マイキー渾身の頭突きが女の後頭部に炸裂する。女は「ぅぎゃ!」と動物みたいな叫び声を上げながら前へと吹っ飛び、その身体はマイキーの正面に立っていたオレの方へと飛び込んできた。反射的に手を伸ばして受け止める。女にありがちな柔らかさと温かさに、どっと心臓が早鐘を打つ。いや、女の身体なんて触り慣れているし、なんだったらただ抱き留めるよりもよほど過激なことも知っているのに、まるで初めて女の身体に触ったときのような自身の反応に戸惑う。童貞じゃあるまいし。つか、今時童貞でもこんな反応するか? 女は目を白黒させながらマイキーを振り向く。


「なんで!?」
「なんでじゃねぇ! なーにが用事があるだ! オマエ、ふつーに誘拐されてんじゃん!」
「いやその、ちょっといろいろ事情があって」
「だったら今その事情ってーのを話せ! つーかあの時の男誰だよ! オマエの両親も友達もみんな知らねーって言ってたぞ!」
「あーうん。あれは私だけの知り合いだから………」
「あ?」
「ひえ」


マイキーの凄みに耐え切れなかったのだろう。女は引き離そうとするオレの動きを押し留めて、逆に縋りついてきた。立っているこちらに対して、地面に膝をついてぎゅうと腰の辺りを引っ張られる。太腿あたりにどくどくと感じるのは女の心臓の鼓動だ。そんなのが分かるまで胸を押し付られているこっちの身にもなって欲しい。女はマイキーを振り返ったまま縋ってきているので、オレのことなど眼中になさそうだ。ふと、今女はどんな顔をしているのだろうと気になって、声をかけてみる。


「あの、すみません」
「え?」


マイキーから視線を外してこちらを見上げや女の顔に、やってしまったと後悔した。頭突きされた痛みで潤んだ瞳は艶やかだ。さっきまで喧嘩をしていた所為か、声を張り上げてマイキーと話していた所為か、頬は上気して唇も血色よく嫌でもそちらに目が行く。あと、自分の影の中にすっぽり入っているのもまずい。何がまずいのか分からないけど、とにかくこれはまずい。一瞬、マイキーの前だと言うのも忘れて取り乱しそうになった。


「あー………」
「?」
「………悪い、ちょっと離れてやってくれねぇか」
「あ、ごめんなさい。服伸びちゃいますね」


ドラケンのフォローで女も姿勢の際どさに気付いたのだろう。はにかみながら離れる女にぐっと拳に力が入る。意味はないが無性に目の前の女を殴りたくなって、しかしマイキーの友人である以上そんなことが出来るはずもなく、気取られないよう呼吸を深くする。女は服の土埃を払うと、どすりと身体の軽さに似合わぬ重い音を立ててマイキーの横に陣取った。その無遠慮だとも尊大だとも言える態度にまた苛立つ。オレの身体の中にあるざわつきは、おそらく苛立ちなのだ。この女の態度が王を軽んじているように見えるから、苛立っているだけ。きっとそうだ。


「なあ、セイカ。オマエ、帰ってきたってことはもう『用事』は済んだってことだよな?」
「………」
「………おい、なに黙ってやがる」
「いや、それがその………。実はまだ終わってないんだよねーこれが!」
「バカ」
「いったぁ!」
「おいマイキー、女をそうばかすか殴るな」


二発目の平手もまた後頭部に入る。威力は弱めだったのか、さっきのように受け止めるようなことにはならなかった。別に残念などとは微塵も思っていない。女は両手で後頭部を庇いながら、ぽつぽつと話し始めた。伸ばした足を綺麗に揃え、爪先をメトロノームのように左右に小さく揺らす様は、まるで小さい子供が迎えに来る親を待っているようだ。


「もうほとんど終わりまでは来てるの。ただ、思ったより時間が掛かってて、あと、思ったより、辛くて。今まではなんとか頑張って来られたんだけど」


とん、とん、とん、と今度はサンダルの踵でリズムよく階段の木目を鳴らしていく。そのリズムに合わせるように女の口から零れる言葉は、まるで予め書かれた詩を吟じているようだ。


「これ以上はもう無理だって思っちゃったから――――逃げてきちゃった」
「………そんなにしんどいのかよ、オマエの『用事』って」
「うーん。そこそこ」
「そこまでしてやんなくちゃいけないことなわけ?」


マイキーの問いに女は答えない。変わらず踏板を鳴らす表情は、零す内容に反してとても穏やかだった。口元だけ見れば幸せそうに微笑んでいるようにも見えて、女を最初に見たときに浮かんだ『妖精』という単語がまた頭を過ぎる。女は後ろに腕をやり、上体を逸らして上を仰ぐ。その首筋がやたらと夜の暗がりのなかでは白く見えた。


「でさ、あーなんか駄目かもって思ったとき、なんとなくマイキーのことを思い出して。マイキーどうしてるかなぁとか、そういや帰るって約束してたなーって。そしたらどうしても気になっちゃって。本当は顔だけ見たら、そのまま帰ろうと思ってたんだけど」
「は? オマエ、オレに何も言わず帰るつもりだったわけ? っていうか、逃げてきたんじゃなかったのかよ。帰るってなんだよ」
「え?」
「オマエが帰るのはここだよ。他のどこに帰るっつーんだよ。――――――まさかとは思うけど、あの男のところとか言うんじゃねぇだろうな」
「それは」
「もしそんなこと言うなら、オレ、容赦しねぇけど」
「あー」


女はしどろもどろに言い淀み、そんな女にマイキーの機嫌は更に下降していく。ちらり、とオレが横目でドラケンを見ると、ドラケンは溜息を吐きながら小声で話してくれた。女はマイキーの同級生で、マイキーの目の前で誘拐されたらしい。そのことに責任を感じていたのか、マイキーの女に対する執心は凄まじいものだったのだとか。いや、今では鳴りを潜めただけで、この様子を見れば現在もその執着は衰えていないのだろう。まあ、言ってしまえば犯罪現場に居合わせたようなものだ。さすがのマイキーも過去の出来事と片付けることは出来なかったのかもしれない。


「なあ、セイカ。本当に「マイキー」


結局、マイキーの質問に女はほとんど答えていない。そんな現状に痺れを切らしたのだろう。再び問い詰めようとしたマイキーの唇を女の掌が覆う。こつん、と踵のリズムが止む。その様子にざわりと背筋が粟立って、跳ねそうになった身体を後ろに組んだ手に爪を立てることでなんとか誤魔化す。マイキーの言葉を不遜に封じた女からも、なすがままになっているマイキーからも目を逸らしたいのに、視線はじっと二人に注がれたままだ。触れていたのは数秒、女の手はすぐに離れていった。


「ねえ、マイキー。まだ私のこと、友達だと思ってくれてる?」
「なに、その質問」
「まだ私はマイキーの友達だって、思ってていい?」
「………」
「ね、マイキー。もしほんの少しでも、私のこと、まだ昔みたいに思ってくれてるなら。お願い」


何も言わないで。何も訊かないで。ちょっとだけ、ここにいさせて。女はそう言って、じっとマイキーの言葉を待っていた。マイキーもまたじっと女を見つめて、何かを迷うようにぐっと眉間に皺を寄せている。しばらくの沈黙。ドラケンもオレも何も発せず、マイキーの返事を待っている。と、マイキーは携帯を取り出すと何やら操作を繰り返し(動きからして、多分メールを打っているのだろう)、すぐにぱちりと閉じる。それから「あーあ」とわざとらしく声を出すと、膝の上に頬杖をつきながら女を見た。


「オマエさ、今の口ぶりだとサツにも顔出してねーんだろ」
「うん。え? あ! 待ってマイキー、」
「言われなくてもチクらねーよ。チクったらオマエ、ここにいられくなるだろうし」


それはそうだろう。6年前に誘拐され生死不明だった被害者がいきなり現れたのだ。顔を出せば大騒ぎになるだろうし、女の親にも連絡がいくはず。話を聞く限り、女の両親はもうこの辺りにはいないようだし、サツに話が通ればすぐに女はサツの保護下に入ることになるだろう。


「………いいの?」
「別にオレは困らねーし。オマエがいたいって言うんならいいんじゃねーの」
「っありがとうマイキー!」


女は喜色満面の笑みを浮かべて、マイキーの手を握りぶんぶんと振り回す。マイキーは「痛い」といいながらもまんざらでもない顔で、そこから話はとんとん拍子に進んでいき、今夜はマイキーの家に泊まることが決定した(先ほどのメールはそのための確認だったらしい)。


「あとさ、マイキー。明日って何か予定ある?」
「んー、ない」
「あるだろマイキー」
「んあ?」
「明日は品川のチームを潰しに行くって話だったような………」


そもそも、今日の集会もこちらに喧嘩を売ってきた品川のチームを潰すために設けられたものだったはずだ。数は向こうの方が多いものの、所詮は有象無象の集まり。東卍が全員出向くようなことはせず、マイキーとドラケン、後はオレが所属する伍番隊の連中で行く予定だったはずだ。オレが今日集会前からマイキーに合流していたのはそのためである。ちなみに隊長は一足先に品川に足を伸ばしているので、今日は不在だ。女はその話を聞くと「そっかぁ」と分かりやすく肩を落とした。


「なに、なんかあったの?」
「いや、久しぶりに新宿とか行ってみないなーと思って。でも一人で行くと迷いそうだから、マイキーと一緒に行けたら楽しそうと思っただけ」
「ふーん。ケンちん、明日任せていい?」
「いいわけあるか」


ただの小競り合いならまだしも、そこそこ大きなチーム同士に潰し合いであるし、向こうの総長が直々にマイキーを指名してきているのだから、これで顔を出さなければ尻尾を巻いて逃げたと思われても仕方ない。王であるマイキー、ひいては彼が作り上げた東卍にそんな侮辱を向けられるなど、想像しただけではらわたが煮えくり返る。


「あ、ならオマエも明日来るか?」
「喧嘩に女連れで行く馬鹿がどこにいるんだよ」
「いーじゃん別に。セイカ喧嘩強いみたいだし。そういやオマエ、なんで喧嘩強くなってんの?」
「あー………」
「あ、そっか。今のなし。………そうだ。三途、お前が行って来いよ」
「は?」
セイカの付き添い。オマエも結構あっちの方行くだろ?」
「あの、オレも明日来るように言われてるんですけど………」
「大丈夫だって。向こう弱っちいし。オマエがいなくてもなんとかなるだろ」
「………」


それはそうかもしれない。正直、マイキーとドラケンさえいれば今回の小競り合いも軽く済ませられるものだ。けれど、なんで、よりにもよって。せっかくマイキーと一緒に暴れられる貴重な機会を、マイキーの雄姿をすぐ傍で見られるチャンスを、ぽっと出の訳の分からない女のために棒に振らなければいけないのか。しかし王の命令だ。逆らうわけにはいかない。だけどこのまま手放すにはあまりにも魅力的な好機であることもまた事実だ。少しだけ足掻いても許されるのではないのだろうか。


「それなら、三ツ谷さんとかでもいいのでは?」
「それもそうなんだけど、あんまセイカのこと、他の隊員に知られない方がいいだろ」
「………分かりました」


女の素性も背景も知らないが、話の流れから察するに、女が今この町に帰ってきていることは内密にしていた方がいいのだろう。女の事件は当時ではそこそこ話題になったようだし、女を知る人間が増えればその分、噂として話が流れる可能性は高い。そんなことを言ったら、やってきて早々メンバーを蹴り飛ばしているのをすでに複数のメンバーが見ているのだから、意味がないと思わないでもないが。女は交わされる会話を聞きながら、自分の提案がオレを巻き込んでいると知って、慌てた声を出した。


「いや、別に絶対一緒に行って欲しいってわけじゃないし。一人でも行けるのは行けるから」
「だめ。ぜってーだめ。オレの目の届くところにいるか、せめて三途かケンチンと一緒に行動して」
「なんで?」
「また誘拐されたらどーすんだよ」
「やだなぁ、そんなひょいひょい連れ去られたりはしないって」
「そんなこといいながら、6年前怪しい男にひょいひょいついていったのは誰だよ」
「いや、だからあれは知り合いで」
「あ?」
「なんでもないでーす………」


これ以上は藪蛇と思ったのだろう。女は降参の意を示すように両手を上げて、首を横に振る。なんだかどっと疲れてしまった。これ以上頭を働かせるのも面倒で、ぼうっと女とマイキーの様子を眺めていると、急に二人が同じタイミングでこちらを向くものだから、無意識に背筋を正してしまう。


「こいつ、三途春千代。オレんとこの伍番隊副隊長」
「へー………。ところで、マイキーって今何してるの? さっきのって何の集まり?」
「チーム作ったんだよ、お前がいなくなってから。こっちはドラケン、副総長」
「副総長………。ならマイキーは総長ってこと?」
「そーいうこと」
「すごい偉い人じゃん」


そりゃああの人たちが突っかかってくるわけだよね、と腕を組みしきりに頷く女。本当にマイキーのことも東京卍會のことも知らずにここへ乗り込んできたらしい。なんという無鉄砲さだろう。遠目で見たって不良の集団ってことは分かるだろうに。


(この女、もしかして馬鹿なのか?)


言ってることもやってることも要領を得ないし、マイキーに無茶ぶりをし、こちらまでとばっちりを食らい。とても犯罪被害者とは思えないお惚けぶりだ。それとも誘拐されている間に頭のネジでもぶっ飛んだのだろうか。そんなことを思っている矢先、ばちり、と視線が合う。内心を読まれたのかと一瞬ひやりとしたが、女は立ち上がるとスカートの皺を丁寧に伸ばし、こちらへと手を伸ばしてきた。握手を求められているというのは理解できるが、手洗いもしてない他人の手を素手でなんて触りたくない。向こうもそれを察したらしく、出した手を引っ込めると軽く会釈をした。


「改めて、セイカっていいます。明日はよろしくお願いします、三途くん」
「………よろしくお願いします」
「じゃあ明日、新宿駅で待ち合わせってことで!」
「新宿駅のどこでですか?」
「どこ?」
「新宿駅、改札9か所ありますよ」
「へ?」


そうなの? と首を傾げる女に、今度は隠しもせず溜息を吐く。何が一人で行けるだ。これでは新宿に繰り出すどころか、駅構内で迷子になって半日を潰す未来がありありと見える。ただでさえ面倒なのに、迷子の捜索なんていうこれ以上とない労力など使いたくない。オレは「明日の朝、迎えに行きますから」と告げながら、今日はツイてないことばっかりだ、と心の中で吐き捨てた。





2023.03.14