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学校では大騒ぎになった。そりゃそうだ、自分の学校の生徒が誘拐されたなんてことになったんだから。学校にはセイカの目撃情報がないかとサツが来て、けれど、オレはあの日のことを話しだせずにいた。


「なあ、万次郎。お前、セイカちゃんについて何か知らないか?」
「………………」


アイツがどこかへ行ってしまった次の日、オレは学校を休んだ。一日目は、アイツがいないなら学校行っても楽しくないしな、と思ってサボった。そしたらセイカの両親が来て、アイツが昨日から家に帰っていないのだが何か知らないか、とシンイチローに訊いているのを盗み聞きした。その瞬間、さあっと身体中の血がどっかにいった気がした。どういうことだ? アイツは家の用事があるから、だから遊べないって、ならなんでアイツの両親が泣きながらオレの家に来ているのだろう。


(違う、ちがう、そうだ、アイツは、家の用事だなんて、一言も言ってない)


オレが勝手にそう考えただけだ。アイツは用事で遠くに行かなくちゃいけないって、それだけしか言ってなかった。あの男も知っている人だとは言ってたけど、家族だとか親戚だとは言ってなかった。


(それって、つまり)
(だけど、どういう)
(どうして、なんで)


頭の中がぐるぐるとかき回されて、何も考えられなくなる。足元が崩れてしまったみたいに真っすぐ立てなくなって、なんとか転ばないように部屋に戻って、布団に潜って耳を塞ぐ。それからアイツの両親は帰って、しばらくしてシンイチローが部屋にやってきた。


「万次郎、お前、昨日セイカちゃんに会ったか?」
「………知らない」
セイカちゃん、昨日から家に帰ってねぇらしいんだ。ランドセルもないから、多分下校途中になにかあったかもって」
「なにかってなに」
「それは、その」


シンイチローはもごもごと口を動かして、その先は言わなかった。多分、オレとセイカが特別仲が良かったから、オレに心配をかけるようなことは言えなかったんだろう。だけど、その時のオレにはシンイチローのはっきりとしない言い方が別の意味に聞こえた。なあ、お前は知ってるじゃないか。あの男がセイカを連れていったんだって。そして、お前はあのとき、あの場所にいたのに、セイカを助けられなかった。そうだろ?


「知らないったら知らない」
「万次郎」
「しつこいっ!」


違う、やめろ、オレの所為じゃない。だってアイツは知り合いだって、あの男が手を伸ばして、そしてアイツもその手を取ってた。でも、もしも、セイカが騙されているだけなんだとしたら? あの男が本当は悪いヤツで、その所為でセイカがひどい目にあってたとしたら? それは誰の所為になるんだ? 頭がガンガンと殴られたみたいになって、それからどのくらい布団に潜ってただろう。寝て、起きて、寝て、起きて、腹が減ったと思って布団から出たら、朝日が昇るちょっと前くらいの時間で、こんなに早起きするなんて久しぶりだな、なんてぼんやり考えた。


「………」


腹が減って起きたはずなのに、オレの身体はふらふらと外に出て、あの日辿った道を歩いていた。冷たい空気。がらんとした道。静かな世界。まるで自分以外この世界から消えてしまったみたいだ。人ん家の庭を勝手に横切って、塀をよじ登って、ガードレールを乗り越えて、最後に短い橋を渡って、それで、それで。


「――――――――」


公園には、誰もいなかった。そうだよな、当たり前だよな。でも、もしかしたらって、思ったんだ。アイツはブランコが好きだったから。あと、こういう朝早い時間が好きだったから。ここまで来たら、アイツがいるんじゃないかって。まだ太陽が昇り始める前の、星が夜の空の端っこにきらきらしているような時間が一番好きだって言ってたから。そうだ、前に早起きをしたときは、セイカと一緒に公園に遊びに来てたんだ。すっごい早起きをして、親にも誰にも内緒で、まだ暗い時間に公園で遊んでみようって。あれはどちらが先に言い始めたんだっけ。オレだっけ、セイカだっけ。


「………セイカ


公園に入って、あちこち探す。だけど、この公園の遊具なんてシーソーとブランコ、滑り台と砂場くらいで、隠れる場所なんてありゃしない。公園の真ん中に立って、ぐるりと見渡すだけで分かる。誰もいない。桜もすっかり散って、残るのは地面で踏みつけられた、茶色くて汚い花びらの死体だけだ。


「………かえろ」


何やってんだろオレ、と公園を出たところで、ぱきりと何かを踏んだ。なんだろうと思って足をどけてみると、そこには桜の枝が一本落ちていた。その形には見覚えがある。オレがあの日、アイツに渡そうと思って折ってきた桜の木だ。拾い上げれば、咲きかけていた蕾はすっかり元気をなくしてしまっていて、だけど、まだ落ちてはいなかった。それを見た途端、胸が苦しくなって、涙が溢れてくる。男が泣くなんてダセェのに、涙はあとからあとから溢れて止まらない。気が付けば、オレは桜の枝を持ったまま、家へと走っていた。


「シンイチロー!」
「うおっ!? 万次郎、どうした、お前今日早いな―――――って、おい、まじでどうした!?」
「シンイチロー、あのさぁ、オレ、」


そこから自分が何をどう喋ったのか、いまいち覚えていない。意地と気合で込み上げてくる涙を堰き止めて、しおれた桜の枝を握りしめながら、オレはあの日のことを全部話した。多分、言いたいこととか思い出したことから話したから、めちゃくちゃな内容になっていたと思う。それでもシンイチローは真剣な顔で、根気強く聞いてくれた。オレが途中でしゃべれなくなっても、何も言わず、最後まで全部話しきったときにはぽんと背中を一つ叩いてくれた。


「頑張ったな、万次郎。よく話してくれた」
「でも、オレ、オレ」
「怖かったよなぁ。でもちゃんと、オレに話してくれたんだもんな。お前は勇気があるよ」
「そんなんっ、今あっても、何の役にも立ってねぇじゃん!」
「………なあ、万次郎。セイカちゃんがいなくなったのは、お前の所為じゃない。セイカちゃんのご両親や警察は誘拐されたんじゃないかって思ってるみたいだけど、もしかしたら何か事情があるかもしれねぇし」
「なんだよ、事情って」
「そりゃ分かんねーけどさ。怖いことや酷いことをされてるって決まったわけじゃないだろ」
「でも………」
「あのな。お前はすげぇ喧嘩が強いし、度胸もあるけど、まだ子供だ。セイカちゃんだってものすごーく頭がいいけど、やっぱり子供なんだ。だから、今回のことはお前の所為でもセイカちゃんの所為でもないんだよ」


警察やセイカちゃんのご両親にはオレから話しておくから、と頭を撫でられ、それから一週間、オレは学校を休んだ。その間に、何度もセイカの親やサツがうちにやってきて、何度も話を聞かれた。何度も何度も同じ話をするのは正直イライラして、一度はしつこく同じ質問をしてくるサツの男をぶん殴りそうになったけど、オレの話に嘘がなさそうだと分かると、サツもセイカの両親も家に来ることはなくなった。


そのうちに、春が終わった。


持ち帰ってきた桜の枝はペットボトルに水を入れて飾っておいたけど、枯れたから捨てた。アイツのために買っておいた駄菓子も腐り始めて、自分で食べる気も起きなかったから捨てた。ゴールデンウィークは何もせずどこにも行かず、外出したのはイキった高校生に呼び出されてボコったときくらいだった。


そのうちに、夏が終わった。


学校でセイカの話をするやつらは一人もいなくなった。最初はサツたちも近所の聞き込みやオレが見たあの男に似てるやつがこの辺りにいないか調べていたが、夏休みに入るころには見回りや聞き込みをするサツの姿も少なくなっていった。夏休みが明けて学校に行ってみると、アイツの席はもうなくなっていた。それが許せなくて、オレは適当な空き教室から机と椅子をかっぱらってきて、アイツの教室に乗り込んだ。


「おい」
「え、な、なに」
「そこはセイカの席だろ。どけよ」
「え………セイカって?」
「は?」


本気で分からない、と首を傾げる男子生徒に、ああ、とオレは思い出した。『セイカ』というのはオレの『マイキー』と一緒であだ名みたいなものだ。アイツの本当の名前ではない。いつだったか、オレが「これからはオレのことマイキーって呼べよ」と言ったときに、彼女が「なら、私はセイカって呼んで欲しい」と言ってきた。以来、オレはアイツのことを呼ぶときは「セイカ」と呼んでいるのだ。なのに、アイツはオレを『まーくん』だなんてガキっぽい響きで呼び続けて、マイキーと呼んでくれたのは、あの日の一回だけだった。『セイカ』。どうしてその名前なのか理由は知らない。本名をもじった感じでもないし。オレは改めてアイツの名前を思い出す。あまりにも使い慣れないから、思い出すのに少し時間が掛かったが、言い直せば男子生徒はオレのいう「セイカ」が誰のことを言っているのか分かったらしい。


「でも、二学期の席替えでここは僕って」
「いいから。どけ」


オレがそいつの机を蹴り飛ばしながら言えば、そいつは半泣きになりながら席をどいた。机と椅子も一緒に移動させて、オレが持ってきた机と椅子を置いて「いいか、ここはアイツの席だからな」分かったか、とクラスの連中を見渡すと、全員がコクコクと頷いた。センコーもクラスの誰かから聞いたのだろう、その席は動かされることなく、二学期も三学期も空白のままでそこにあった。


それから秋になって、冬になって。
年が明けて、また春がきて。


「おばさん?」
「っ! あ、あら、万次郎くん」
「なにしてんの? 工事?」


ときどき、オレはあの日の公園に来るようになっていた。もう急ぐ必要もないから、普通の道を通って、いつもより遠回りをして。公園にやってきてはぐるぐると犬みたいに何の意味もなく中を回って、また帰る。たまーにいつもアイツが座っていたお気に入りの青いブランコを漕いでみるけど、すぐに飽きてしまう。アイツはずっと漕いでたけど、ブランコの何が面白かったんだろ。アイツが帰ってきたら、訊いてやろう。今日もそんなことを考えながら公園から帰るがてらアイツの家の前を通ったら、アイツの母親とヘルメットを被った男が話していた。アイツの家の周りには足場が組まれていて、一面ネットで覆われていた。


「改築ってやつ?」
「そ、そうね、そんなところよ」


しどろもどろになりながら答えるアイツの母親は、顔こそアイツに似ているものの、中身はまったく似ていなかった。母親の方はおどおどしているし、嘘を吐いてるってすぐに分かる。それからまたヘルメットの男が数人やってきて、母親に話しかけていた。母親の方も、これ以上オレに何か話すつもりはなかったんだろう。ほっとした様子でヘルメットの男たちの方に歩いていってしまったから、オレはそれ以上気にすることもなく家に帰った。オレの記憶からはセイカの母親と交わした会話なんてすっかり消えてしまっていて、だから、久しぶりにまたアイツの家を見に行ったとき、初めてそのことを知った。


「――――――――は?」


アイツの家が無くなっていた。この辺りでは珍しかった煉瓦造りの壁も、庭に植えていたハナミズキも、アイツが大切にしてた自転車も、なにもかもがなくなって、ただのだだっぴろい空き地になっていた。そのことを慌てて帰ったあとシンイチローに訊くと、シンイチローもそれは知らなかったらしく、今度は二人で見にいった。もしかしたら悪い夢だったんじゃないか。ヘンな幻でも見たか、そうじゃなきゃぼうっと歩いてた所為で道を間違えていたとかかもしれない。けれど、そんな期待も虚しく、やはり空き地は空き地のままだった。


「なあ、シンイチロー。どういうことだよ」
「いや、オレも何も聞いてないな………。ちょっと他の人たちに訊いてみるか」


それから数日、シンイチローがいろんなヤツに話を聞いてくれた。どうやら、セイカの両親はあの事件がきっかけで夫婦仲が悪くなったらしく(というか、事件が起こる前から少しずつ関係は悪化していたらしい)、今年の春に離婚して二人ともここを出ていったのだという。それを聞いたオレは、アイツの親がどこに行ったのかシンイチローに問い詰めた。


「そんなの知ってどうすんだよ」
「決まってんだろ、ぶん殴りに行くんだよ!」


なんだよそれ、なんでそんな風になるんだよ。アイツは絶対帰って来るって言ったのに。その目印である家が、帰ってくる場所であるはずの家族がなくなっちまうなんて、そんなの可笑しいだろ。なら、アイツはどうなるんだよ。アイツの帰る場所がここじゃなくなったら。


「家族もねぇ、家もねぇ、ならアイツはどこに帰ってくればいいんだよ!!」
「万次郎」
「家族も家もなくなっちまったら、もうアイツ、ここに帰ってきてくれなくなっちゃうじゃん………!」
「何言ってんだ。お前がいるだろ、万次郎」
「はあ?」
「ここでお前が待ってる。それはセイカちゃんだってきっと分かってくれてると思うぞ」
「………なんでシンイチローがそんなこと分かるんだよ」
セイカちゃんが約束したのはお前だからだよ、万次郎」
「オレ?」
「だってそうだろ? セイカちゃんは最後に、お前に言ったんだ。絶対に帰ってくるって」
「………」
「なら、お前が待ってればいい」


もちろん、お前がここを離れなくちゃいけないときは、オレが帰ってきたセイカちゃんにきちんと万次郎が待ってることを伝えておいてやるからな。そう言って、シンイチローはぐしゃぐしゃとオレの頭を撫でた。涙脆くてビビリで情けない男だけど、こういうところは素直にかっこいいなって思う。本人に言うとチョーシ乗るから絶対に言わないけど。


「………うん。オレ、ずっと待ってる。アイツのこと、ずっと待ってる」
「おう、そうしろ」
「んで、帰ってきたら一発殴る」
「女の子に拳は止めとけ」


そんな風に笑って、励ましてもらって。絶対にアイツを待っててやると、半ば意地みたいな覚悟を決めて。


それから6年。
アイツはまだ帰ってきていない。





2023.03.07