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「あれ、セイカ。どうしてここに?」


まだ外の日差しで火照った頬が冷めぬうちにばったり出会ったドクターは、このリゾート地だというのに随分と厚着であった。そんな装備でこの街に繰り出せば、確実に熱中症で倒れてしまうだろう。気象的な暑さもそうだが、この祭りで賑わった人々の雰囲気は、ただ横を通り過ぎるだけで気分と体温をあげてしまうほどの熱量がある。ロドスへとやってきたセイカは、壁によりかかっているドクターに小さく頭を下げた。


「お久しぶりです、ドクター。お加減はどうですか?」
「可もなく不可もなくってとこかな。セイカはロドスに用事が?」
「いえ、用事というほどでは。私も別件でシエスタへ来ていたのですが、ロドスも来ていると情報が入ったので顔を見せておこうかと思いまして」
「そうなんだ。シエスタって、今お祭りをしてるんだって聞いたけど、セイカは知ってる?」
「ええ。毎年恒例の『黒曜石祭』には、私たちもそれなりの資金を投入してますので」


そういえば、ドクターは驚いた顔で「そうなの?」と首を傾げた。単純な企業のイメージアップのためもあるが、こうした大きな催しは人脈づくりや恩の売り渡しをする絶好の機会なのだ。それになにより、人の集まるところにはトラブルが付きまとう。医療に携わる反面、死の商人として武器を扱うレーベルヴァイン財閥からしてみれば、この祭は利用に値する行事なのだ。


セイカの家ってこんなことにも手を伸ばすんだ。あ、もしかしてその関係で?」
「そんなところです。ところでドクター」
「ん?」
「もしかしてとは思いますが、その恰好で黒曜祭に?」
「そのつもりだけど」
「それはやめておいた方がよろしいかと」
「駄目かな?」
「黒曜石祭ではほぼ無料でアルコール飲料が配られますし、通りはコンクリートで舗装されているので今日のような天気の日は特に暑いです。せめてもう少し通気性を良くしたものを」


どうせ一時間もいれば、祭りの雰囲気に当てられてドクターも酒の一杯くらいは引っかけるはずだ。このロドスの指揮官は、こう見えて雰囲気に流されやすいところがある。もちろん、譲ってはいけないところ、決めるべきところはしっかりと弁え、シルバーアッシュさえ一目置くほどの決断力と行動力を見せる人間だとは知っているが、時たまその行動力と決断力が思わぬところで発揮されることも、セイカは何度かロドスと行動を共にして学んでいた。誰と行くのか、と訊けば、いつものようにアーミヤの名前が出てくる。忘れ物をしたとかで、今はアーミヤを待っている最中だそうな。それならば。


「よければ、これをどうぞ」
「これは?」
「ここに来る途中、露店で買い求めたものです。ドクターに差し上げます」
「えっ、シルバーアッシュへのプレゼントとかじゃないの?」
「いえ、さすがにシルバーアッシュ様に祭りの露店で買ったものは渡せません」
「そうかな。彼なら喜びそうだけど」


こともなげに言ったドクターにセイカはいやいやと首を振った。カランド貿易のトップに、浮かれた色のシャツなど渡せるものか。あの美貌ならなんでも着こなせそうなものだが、だからこそ選ぶ側も慎重になってしまうというもの。セイカはぐいと荷物を押し出し、強調する。


「ドクター、あなたのために買いました」
「私の?」
「以前、クローゼットの中を拝見したとき、こういう場での装いが少ないようにお見受けしたので」
「ああ、シルバーアッシュから逃げてきて、私の部屋のクローゼットに隠れてたときのこと?」
「それは忘れてください!」


今思い出しても恥ずかしい。まさか自分があんな子供みたいな真似をする日が来ようとは。本当に幼かった時分でさえ、かくれんぼなどということはしなかったのに。セイカはこほんと咳払いをして、つい数週間前にあったエピソードを記憶から追い出す。日ごろのお礼のようなものだし、ただでさえいつも身体を酷使しているのだから、ファッションに気を使うのも体調管理のうちだと巻き気味に言えば、ドクターは紙袋の中を見たあと「う、うん」と押され気味に頷いて紙袋を抱え直した。


「今からちょっと着替えてくるよ。アーミヤが来たら、一緒に待っててもらっていいかな?」
「分かりました」


頷くと、ドクターは駆け足で自室へと向かっていく。途中、走って転びやしないかとハラハラしてしまったが、少なくともセイカの目が届く範囲では転ばなかった。どうも、あの人を見ているとどうにも危なっかしくて仕方ない。


(シルバーアッシュ様も、こういうお気持ちなのかしら)


ドクターとシルバーアッシュの馴れ初めは学生時代、ヴィクトリアなのだと聞いたことがある。セイカがシルバーアッシュに出会うよりも前だ。今のドクターはそのころのことも忘れていると言っていたが、それでも、二人が並び立つ様を見ていれば、あの二人の間には何人とも立ち入ることの出来ない強い絆があるのだと思わせられる。かつて、二人はどんな世界を共有したのだろう。


―――――


まただ。セイカは鳩尾辺りにちりりとした焼け付くような痛みを感じて、麦わら帽子を持つ力を強める。その痛みが羨望であると、セイカには分かっていた。なにせ、幼いころは息をするように身体の裡に飼っていた感情だ。憧れで焦がされた羨ましいという感情。慣れ親しんだ、いやというほど思い起こしてきた痛み。その痛みの正体は分かるのに、セイカにはこの痛みがどうやって消えるのかが分からなかった。なにせ、何を羨んでいるのか特定できないのだ。


記憶を失くしてもシルバーアッシュからの信頼を失わないドクターの強さ。
二人が互いにだけ分かる世界の一端を共有していること。
背中を預けるに足る存在だと胸を張って言ってくれる人がいること。
立場を尊重し合い、けれど己の意思を過たず貫こうと、肩を並べる二人の背中。


どれも当てはまる気がするし、どれも違う気がした。ドクターのことは好きだ。ロドスに正式加入していない自分にもよくしてくれるし、取引相手としても申し分ない。人としても、商売相手としても、セイカはドクターのことを評価している。途中、色の合いそうな服を見つけて、買って渡そうと思うくらいには、セイカはドクターという存在を懐に入れている。なのに、彼の人と相対するとき、セイカの中には必ずネガティブな感情が付いて回る。ああいけない、またこれだ。思考が煮詰まる前になんとか気分を変えなければ、と思ったところに、タイミングよくアーミヤがやってきた。


「あれ、セイカさん?」
「こんにちは、アーミヤ。その服、似合ってるわね。とても可愛いわ」
「有難うございます。セイカさんも、すごく可愛いです。そういう服も着られるんですね」
「お祭りにもそれ相応の服装というものがあるもの」
「お祭り、ですか。セイカさんも黒曜石祭のために来たんですか?」
「そうなの。それで、さっきドクターに服をプレゼントしたのだけれど、今着替えに行ってるから」
「えっ、そうなんですか!?」


しゅん、と耳を垂らしてしまったアーミヤに、セイカは自分の失態に気付く。しまった、もしかしたらアーミヤは、これからドクターのために服を見繕うつもりだったのかもしれない。だとすれば、自分のやったことは完全に要らないおせっかいというやつだ。なんというバッドタイミング。


「ごめんなさい、アーミヤ。私、余計なことをしてしまって………」
「そ、そんなことないです! セイカさんの選んだものならセンスも良いはずですし」
「本当にごめんなさい。その、お詫びといってはなんだけど」


セイカは自分の間の悪さを呪いながら端末を操作し、アーミヤの端末に幾つかの位置情報を送る。アーミヤもセイカからの通信を受け取り、地図の上に広げられた店舗情報を開いて目を通す。「これは?」と首を傾げるアーミヤに、セイカは地図の上に示された幾つかのポイントを指さしながら言った。


「そこ、おすすめのお店なの。大通りから外れてるから隠れ家的なところもあるし、アクセサリーや服を売ってるお店とかあるから。ドクターとの思い出に、お土産を買ったり休憩したりするときに使って」
セイカさん、シエスタに詳しいんですか?」
「そうね。ありきたりなガイドブックよりかは役に立つと思うわ」


ふと遠い目をしたセイカは、少しばかり昔を思い出す。あれは初めて黒曜石祭の仕事を任されたときだった。いろいろと込み入った事情は省略するが、セイカはこの街で二重誘拐される羽目になり、武器なし、援軍なしの状態でひたすら駆けずり回り、結果地下組織を一つ潰す羽目になった。もちろん、命が助かったのは運ではない。セイカは予め逗留する町については、徹底的に調べることを自分に課している。町の構造・勢力・風潮・文化、いつ何が起こっても対処できるように。その成功例が、数年前このシエスタで起こった事件の顛末だろう。


(まあ、その途中で気になるお店をチェックすることもあるんだけど)


あの頃は誘拐も暗殺も今より頻繁に起こるもので、日常の延長線上、定期的に起こるイベントのようなものだった。今でこそ数は少なくなったものの、それでも危険はいつも身の回りにある。でも、知識は使いようだ。自分の身を守るための血生臭い前準備が、一人の少女を笑顔にするためのツールとして役立つのならば喜ばしい。


「お待たせ、二人とも」
「わあ、ドクター、その服似合ってます!」
「そう? フードがついてると、なんか落ち着くよね」
「万が一の時に、顔を隠せた方がいいと思いまして」
「さすがセイカ。気が利くね」
セイカさんもご一緒しますか?」
「いえ、せっかくだから、ちょっとロドスで用事を済ませてから戻るわ」
「分かった。ケルシーもドーベルマンもまだいるはずだから、何かあったら彼女たちに聞いて欲しい」
「了解しました」
「あ、そうだ。せっかくだから写真撮ろう」


そういうと、ドクターはポケットから端末を取り出して、アーミヤとセイカに並ぶようジェスチャーする。そそそ、と小さくずれながら肩を寄せ合う二人は姉妹のようで可愛らしい。はいピース、と端末を構えてレンズを向ければ、ぎこちなくピースするアーミヤに対して、セイカは完全無欠のパーフェクトスマイルで応えた。なるほど、広報慣れした対応である。けれど、これでは少しつまらない。そうだ、とドクターは二人を写真に収めたあと、わざとらしく首をひねった。携帯をかちかちと操作して、「あれ?」とこれまた白々しく声をあげ、端末を自分の頭より高く掲げてみせる。


「ドクター、どうしました?」
「なんか端末の調子が悪いみたいで。セイカ、ちょっと見てもらってもいいかな」
「はい」


ちょいちょい、と手招けばセイカは素直にドクターの隣に並んで、掲げられた端末の表示を覗き込もうとする。よし、今だ。ドクターはやや強引にセイカと距離を詰めて、ぱしゃりとシャッターを切った。自撮りモードに切り替えた画面には、いたずらが成功して喜ぶ自分の顔と、無防備な表情でややレンズの下を見ているセイカの顔があった。


「ドクター!?」
「よし! えーっと、これでこうして、こうだ!」
「あっ、今送信しましたね! ドクター、一体どこに送ったんですか!」
「わ、私もドクターとツーショット撮りたいです!」
「いいよ。せっかくなら、湖で撮る?」
「いいですねっ」
「ならセイカ、後はよろしく!」
「えっ、ま、待って、ドクター、ドクター!?」


あれよあれよという間にアーミヤを連れてロドスを出ていくドクターに、セイカはぽかんとした顔のまま立ち尽くした。本当は追って送り先を問い詰めたかったが、先ほどアーミヤの楽しみを邪魔してしまった負い目もあり、セイカは送り先の特定を諦めた。でもまあ、ドクターのことだ。非合法なことに使うわけでもあるまいし、ロドスの誰かに送ったのだろう。たかだか写真だ。そこまで神経質になるほどでもあるまい、とセイカは結論付け、まずはケルシーのところに行こうと踵を返した。











ケルシーのところに赴き、今携わっている任務の内容と、それぞれの医薬品の使用頻度、今後の鉱石病患者の受け入れ予定と機器の納入予定などを話し合い、ところどころ合間に挟まれるドクターへの愚痴に相槌を打つ。その後は訓練場へと足を伸ばし、いつものようにジェシカ相手にちょっとした指導と世間話をしていれば、日はすっかりと昇り、すでに午後も半ばになっていた。次の予定はないとはいえ、そろそろお暇しなければ。


(その前にちょっと、甲板で休憩していこうかしら)


今ならば、シエスタの水平線が見えるかもしれない。祭りで賑わう町を遠目で見るというのもまた楽しいだろう。セイカは慣れた足取りで甲板へと赴く。だが、手摺の方まで行こうとはせず、出来るだけ遮蔽物の影に隠れるよう、立ち位置を計算して移動した。狙撃の可能性を考えてのことだ。生憎と、この場所からでは町は見えても水平線は見えてこない。それでもセイカはしばらくそこに立ち、街並みを眺める。あの中のどこかにドクターとアーミヤがいるのだと思うと、心が仄かに軽くなる。あの二人はもう写真は撮っただろうか。それとも、自分が紹介した店を見ているのだろうか。ああ、そうだ。さっきのサプライズ写真も後から送ってもらおう。自分でいうのもなんだが、なかなか間抜けな顔をしていた。あんな顔で写真を撮ったのは、生まれて初めてかもしれない。


「随分と楽しそうだな」
「っ!?」


ドクターの端末で撮られた自分の気の抜けた顔を思い出し笑っていると、不意に声が聞こえた。この甲板の上で吹く風よりも涼やかで、いつも聞く声色よりも少しだけ鋭い。振り向かずとも声の主が誰かは分かる。けれど、心の準備がまったく出来ていないセイカは、通常の優雅さを纏った対応が出来ず、凍り付いてしまう。


(な、なんでここにエンシオ様が………)


彼の予定をすべて把握しているわけではないが、彼がこの時期にここへ来る予定は入っていなかったはずである。もしかして何か飛び込みの案件でもあったのかもしれない。或いは、近場で何か所用があり、そのついでに彼も黒曜石祭を見に来たのだろうか。そうかもしれない。ドクター辺りなら、気軽に声をかけていそうである。彼自体がロドスにいることはそんなにおかしいことはではないのだし。だがしかし、今までこんな突発的な遭遇をしてこなかったセイカは、どうすればいいか分からなくなる。


(いえ、そもそも私今、すごくラフな格好をしているし!)


麦わら帽子に花を象った橙色の髪留め、薄青のワンピースにサンダルという、誰がどう見てもバカンスを楽しむオフの恰好である。どうしよう、こんな浮ついた格好で彼と会えるわけでない。しかし、背中から声を掛けられたということは、彼は甲板に一つしかない出入口に立っているということだ。逃げ場はない。覚悟を決めなければ。セイカは不自然にならないようゆっくり、深く息を吸うと、それを一度吐き切って振り向いた。恰好以外ならば完璧に繕える。声色、立ち振る舞い、表情。服装以外のすべてを切り替えて、後ろにいる彼へと向き合った。


「お久しぶりです。シルバーアッシュ様もこちらにいらしてたんですね」
―――――
「………? あの、シルバーアッシュ様?」


緊張で、手に持った麦わら帽子がかさりと音を立てた。思ったよりも近い距離にいたことに驚いて足を引きそうになるが、ぐっと堪えて努めて笑顔を作る。シルバーアッシュは最初、振り向いたセイカを見てぱちくりと虚を突かれたような表情を作ったが、それも一瞬のこと、セイカの顔を見るとすぐに常ある怜悧さを取り戻した。だが、その一瞬のさざめきを見逃すようなセイカではない。でも、なんだろう。心なしか―――――


(ちょっと、不機嫌そうな)


苛立っている、というほど恐ろし気なものではないが、平常のシルバーアッシュが纏う雰囲気に比べるとやや刺々しい感じがする。仕事で何か上手くいかないことでもあったのか。いや、そんなことをこう態度に出す彼ではないだろうし、そもそも彼は内心を誰かに悟らせるようなヘマはしない。だとすれば、そこまで気を回すのを面倒に思うほど疲れているのだろうか。彼はカランド貿易はもちろんのこと、ロドスでも精力的に活動している。どう考えたってオーバーワークなのだ。


(あ、そうだ。ドクターがいないこと、お伝えしておかないと)


彼がここに来たということは、十中八九ドクターに会いに来たはずだ。もう知っているかもしれないが、一応言っておこう。そう思い口を開いたが、一拍早くシルバーアッシュが言葉を発した。


「確か、財閥はシエスタの祭りにも関わっていたな」
「はい。資金提供だけですが」
「そうか」
「シルバーアッシュ様も黒曜石祭に用が?」
「いや、別件だ」
「そうでしたか。しかし、ドクターは祭りへ行ってしまっていて。もし私でお預かりできるものがあれば、引き受けますが」
「いや、構わない。元より、ドクターに用があるわけではなかったからな」
「そう、なのですか?」


首を傾げれば、シルバーアッシュは「ここにいるのはドクターだけではないだろう」と言われる。それもそうだ。妹たちに会いに来たのかもしれないし、他のメンバーに用事があったのかもしれない。けれど、シルバーアッシュがロドスにいるときは大抵ドクターと行動を共にしているので、セイカの中ではロドスのシルバーアッシュとドクターはセットで扱うのは普通となっていた。セイカは気を取り直して、会話の落としどころを探す。


「でしたら、私はこの辺りで失礼しますね。シルバーアッシュ様も、たまにはゆっくりお休みください」


ぺこりと頭を下げて、声がかけられないことをこれ幸いにとその場から立ち去る。サンダルのヒールを響かせながら甲板から立ち去り、廊下の先にある階段を降りようとしたところで端末が震えた。送り主はシルバーアッシュで、なんだろうと足を止めてメッセージを開く。そこに添付されていたのは、先ほどドクターと撮ったツーショットだった。あの、お間抜けな自分が映っている、写真。


「は、―――――


頭が真っ白になる。なんでこの写真が、彼から。考えるまでもない。先ほどドクターが送信した相手先が彼だったのだ。よりにもよって、なんで、彼に! セイカはその瞬間、血の気が引いているのか頭に血が上っているのか分からない状態になった。この感覚は久しぶりだ。命の危機を回避できた直後の、肝の冷えた感じと興奮がごちゃ混ぜになってやってきたような。セイカは急いで踵を返すと、全速力で甲板へと戻った。去るときに響かせた何倍もの速さでヒールの音を刻む。


「え、え、エンシオ様! 今すぐそのデータを消去してくださいっ!」
「断る」
「断らないで! お願いします!」
「何故だ? よく撮れていると思うが」


それのどこがよく撮れているというのか。確かにピントはしっかり合っているが。動揺からうっかり本名を呼んでしまったが、今はそれよりも重要なことがある。セイカはシルバーアッシュに縋りつくよう懇願するが、彼は一向に首を縦に振らない。どころか、何故か楽し気にセイカの醜態を眺めている。いつもの紳士然とした態度はどこに行ったのだろうか。


「そ、それは不意打ちで撮られたもので………」
「だろうな。ドクターの奇襲技術は日々上達しているようだ」
「それは戦闘場面でのみ発揮していただきたく………」
「私はお前の写真を一枚も持っていないからな。ちょうどいいプレゼントとして受け取っておくことにした」
「………」


もう二の句も接げない。ああ、ドクター。シエスタのどこかでお会いした暁には、よく煮えたコーヒーを頭からぶっかけて差し上げよう。こんな恥をかかせたのだから、ケルシーにも告げ口してやろう。セイカは顔を覆って深く項垂れた。こんな自分を、よりにもよってシルバーアッシュに見られるなんて。今すぐこの甲板から飛び降りたい。そんな物騒な考えが頭を過ぎると同時に、シエスタから空砲の音が聞こえてきた。夕方に向けて、新しいステージが始まる時間だ。


セイカ
「はい………」
「お前はこの街に詳しいと聞いた」
「ええ、まあ」
「良ければ、案内してもらえるか」
「え、私がですか?」
「ああ。お前と共に、この祭りを見て回りたい」
―――――


それよりも休息を取った方が良いのでは、とか、なら案内役と引き換えにさっきの写真を削除して欲しい、とか、そんな科白が浮かんできては消えていく。けれど、自分とドクターの写真が表示されている液晶を見て、口元を緩める彼を見てしまうと、消して欲しいなんて言えなくなる。その笑みが、その瞳の穏やかさがどちらに向いているかなんてどうでもいい。ただ、写真一枚でそんな顔をさせることが出来るのなら、自分の羞恥などいくらでも飲み込んでやろう。


「まだ誰にも教えていない、とっておきのお店があるんです」


今、自分はどんな顔をしているのだろう。きっと、さっき撮られた写真に写っているのと同じくらい、へんてこな表情をしているに違いない。手に持った麦わら帽子で口元を隠しながら言えば、シルバーアッシュはまたあの少しだけ驚いた顔をしたあと「それは楽しみだ」と端末を暗転させた。