絶対優位の逃亡者






セイカも、キャスパーの売った武器で傷ついたのか」


その声に、街を歩いていたセイカは振りかえった。日差しを避けるための麦わら帽子が向かい風に飛ばされないよう、手で押さえながら彼女は質問をしてきた銀髪の少年――――ヨナの顔を見る。浅黒い肌に、赤色の瞳。懐には銃を持っているのだろうが、傍から見れば普通の少年のようにも見える。風が収まったのを見計らって、セイカはヨナの言葉に頷いた。


「イエス。私のいた組織、キャスパーの売った武器で潰された」


懐かしい話だ、とセイカは思った。もう何年前になるのかすでにセイカには分からない。ものを覚えるのは苦手だ。ただ、そのときの騒動に巻き込まれたときに出来た、胸の谷間から脇腹にかけて残った大きな傷跡を見る度に、なんとなくそんなことがあったと思うだけ。あの後、病院に運ばれたセイカに、キャスパーはおおざっぱにだが経緯を話してくれた。いわく、自分は建物の崩落に巻き込まれたのだ、と。腹にある傷跡も、そのときに出来たものだった。


セイカは、キャスパーが憎くないのか?」
「憎くない。大切なもの、壊されたわけじゃないから」


セイカはヨナの事情を知るわけではない。ただ、武器が嫌いなのに武器商人を守っているキャスパーのお気に入り、というぐらいの認識だった。けれど、口ぶりから察するに、ヨナはキャスパーの売った武器で大切な人を失ったのだろう、と推測を立てた。対して、セイカは確かに一時は死にかけるような怪我を負ったが、気にしていない。覚悟が出来ていた、というよりも、あまり関心がない、と言った方がいいのかもしれない。組織が壊滅したと聞いた時も、何の感慨も浮かばなかった。あの出来事で、セイカは何一つ失ってはいないのだ。


「ヨナ君は、キャスパー嫌い?」
「嫌いだ。武器商人も」
「ココは?」
「………」
「分からない?」
――――ココは、分からない」


角を曲がり、セイカはヨナの声を聞きながら、空を仰いだ。アジアの空は綺麗だ、とセイカは思う。空なんてどこも同じ色だが、それでもセイカはヨーロッパの空よりもアジアの空の方が好きだった。そして、戦場の空よりも、人ごみの中で見上げる空の方が好きだ。その理由は単純。ヘリや飛行機が飛んでいないから。黒い影が横切ると、せっかくの空の広さも半減してしまう。


「じゃあ、ココのところ、帰る?」
「今は、セイカを守るのが仕事だから」
「ふふ。ヨナ君、かっこいい」
「からかわないでよ」


ヨナの頭を撫でながら、セイカは時計に目を落とす。キャスパーは今日の夜にはヨーロッパを発つと言っていた。そして、セイカがキャスパーの下を離れ、ココの護衛部隊であるヨナと行動しているのにも、とある理由があった。


セイカを狙ってるのは、殺し屋なのか?」
「ううん。昔の組織のひと」


ここ最近、以前にセイカが所属し、キャスパーの武器で壊滅させられた地下組織の残党が、再び力を持ち始めたらしい。どうやら、先の抗争での生き残りが指揮しているらしく、その幹部がセイカの身柄を執拗に追っているのだという。それもそうだろう。元より、あの地下組織があそこまで成長できたのはセイカの能力のお蔭だったのだ。セイカの頭脳が無ければ、国家に目もつけられないような弱小組織で終わっていたはず。そして、今回もまた、セイカの才能を利用すべく地下組織が動いているという話だったのだが。


「一緒にいると、キャスパー危ない。ヨーロッパ、あのひと達の本拠地」
「だから、セイカはココと一緒にアジアに来たのか?」
「イエス。レーム、バルメ、アール、みんな強い。でも、迷惑かける。ごめんね」
「別にいいんじゃない。セイカ、みんなから好かれてるし」
「そうかな?」
「ココも、セイカに会えて喜んでた」
「私も、ココに会えて嬉しい。ヨナ君にも会えて嬉しい。ヨナ君は?」
「………普通かな」
「そっか」


時折、露店の中を覗きこみながら、セイカはアジアの街を満喫していた。ずっと組織に軟禁されていたセイカにとって、ぶらぶら歩くと言うのはかなり贅沢な行動としてインプットされている。それも、キャスパーに出会ってからは変わってきたが、今では目的もなく散策するのが一番の趣味になっていた。と、ヨナがセイカの手を掴んで歩き出す。


「ヨナ君?」
「つけられてる」
「何人?」
「3人。セイカ、次の角曲がったら走るよ」


セイカはヨナの言葉に頷いて、歩調をヨナに合わせた。アクセサリーを売っている露店を通り過ぎ、角を曲がると同時にダッシュ。しばらくすると、女性の小さな悲鳴と、ゴミ箱が盛大にひっくり返る音が聞こえた。走りながらも器用に後ろを振り返る。ヨナの言った通り、3人だ。銃を持っている。あちらもかなり切羽詰まっているのだろう、発砲されない内に逃げ切れるかどうか。けれど、セイカを支配するのは追われる恐怖でも、逃亡することに対する焦りでもない。まるで新しい玩具を与えられた子供のような、無垢な胸の高鳴り。ゲームを始めて最初の駒を動かす瞬間の、あの高揚感。もはや一度味わえば忘れられない、盤上を思うままに作り上げていく遊戯の快感。


「ヨナ君、ヨナ君」
「なにっ」
「今から、私のいうことを、信じてほしい」


そう言って、セイカは神妙な声色に不釣り合いな、あくどい笑みを浮かべた。