白蝋の誘惑者






彼女にとって、戦争とはゲームだ。
事前に与えられた情報と己が集めた情報を基に、千変万化の計画を算段していく。どこに誰を置くのか、いつどう動くのか、相手はどんな行動をするのか、どれだけの被害が出るのか、どのくらいの利益を齎すのか。それはとても刺激的な遊戯。得られる情報のすべてを駆使して、未来を予測する。誤差なく正確に、盤上でチェスの駒を動かすように兵を動かしていく。自分が頭の中で描いた情景が、寸分違わず現実で再現されていくときの快感といったら、一度味わえば病み付きになってしまう。少なくとも、セイカはその快感の虜となっていた。


セイカは、とあるヨーロッパの地下組織に飼われていた。両親のことを、セイカはよく覚えていない。小さな頃にどこからか攫われてきて、参謀としての才覚を見出された彼女は、十代前半にして組織の重要幹部としての地位を獲得していた。しかし、その肩書きは外向きであり、実際はその類稀な才能を失うことを恐れた組織から軟禁に近い扱いを受けていた。逆らえば、薬漬けにされるか拷問で従わせるか。分かりきっていたセイカは、さしたる抵抗も見せず、ただ淡々と言われるままに組織の参謀として確固たる地位を築いていった。そんなある日だった。どこの誰がいいだしたのか。セイカに反感を持った幹部数人が、勝手な独断専行を始めた。反乱と言ってもいい突発的な抗争。その抗争に対し、与えられた情報、自ら集めた情報で、セイカは最悪の結果を弾きだした。


「なんだと! このまま引き下がれというのか!」
「そうです。このままでは負ける。向こうは、先日武器商人から大量の武器を補充しています」
「人数はこちらの方が多いのだぞ!」
「あちらの戦力との差は、最早人数で覆せるものではありません。度を越している。このままいけば、もはや、一方的な殺しになるでしょう」


彼女が提示したのは、抗争の即時停止だった。それも、最も不名誉とされる武装解除して投降しろというもの。さすがに、これには反乱を起こした人間だけではなく、それを糾弾する側にいる幹部達も抗議した。だが、セイカは言われた通りに“予測”を口にする。『最も被害の少なく、最も利益の多い策だけ話せ』。それが、この組織に攫われてきて以来、耳にタコが出来るほど言われ続けた『命令』。


「持ちこたえて、あと30分。そこから10分もあれば、完全に制圧され、その6分後、本部は襲撃されます」
「黙れ! いい加減なことを………! 何故、貴様はこれを予測できなかったっ!」
「何を、」
「なるほどな。恩を仇で返すというわけか。………貴様も共犯かっ!」


振り上げられた手にあったのは、無骨な拳銃。銃口が向けられていなかったことだけが、不幸中の幸いなのだろう。銃底で思い切り頭を殴られ、セイカはそのままテーブルに身体をぶつけ、床に倒れ込む。次第に薄まっていく意識のなか、セイカは頭に血が昇った幹部の言葉に、ため息をつきたくなった。勘違いをしている。セイカは超能力者でなければ、神託者でもない。得た情報からあり得るであろう可能性を計算し尽くし“予測”するだけであって、未来を“予知”するわけではないのだ。あまりにも正確すぎる予測に、周りの人間はそうは思っていなかったようだが。予測の材料となる情報がなければ、セイカなどあっさりとただの子供に戻る。あと、26分だ。セイカはこのまま死ぬのだろうか、と、意識を失った。











次に目を覚ましたのは、病院だった。消毒液の匂いと、どこか息をするのを躊躇ってしまう清潔すぎる空気。腕を上げれば、簡易な入院服がずれおち、白い包帯がぐるぐると巻かれていた。はて、自分が殴られたのは頭だけだったはず。額に触れると、きちんと巻かれている包帯。もしかしたら、気を失っている間に暴行されたのかもしれない。そんなことをつらつらと考えていると、部屋に誰かが入ってきた。ここは個人部屋なのか、他の入院患者は誰一人として見当たらない。


「目が覚めたみたいだね。セイカレーベルヴァインさん」
「………ここ、は」
「ここは病院だよ。そして、僕はキャスパー・ヘクマティアル」


どこか胡散臭い笑みを張り付けた男は、キャスパー・ヘクマティアルと名乗った。ヘクマティアル。何時だったか聞いたことがあるのだが、はっきりと思い出せない。セイカは陸上選手に例えるなら、スプリンターだ。瞬発力、即ち咄嗟の判断力や瞬時の計算力、情報処理能力はあるが、長期に渡る分野、記憶能力はがくりと落ちている。おそらくは、平均以下だろう。故に、それがかの海運の巨人、フロイド・ヘクマティアルの実子であり、名高い武器商人の名前だとは、彼自身の口から教えられるまで、終ぞ思い出すことは出来なかった。


「いきなり本題に入るが、君を軟禁していた地下組織は、僕の売った武器で一網打尽にされてしまった」
「………」
「君の立場は一応、組織に誘拐され行方不明になっていた子供の一人ということになっていて、まあ、君が組織の幹部になっていたということも、複雑な立ち位置から罪に問われるか微妙だ。問われるとしても、同情か世間体か、どちらにしろ処分は軽くなるだろう」
「………」
「だが、君の能力は実に素晴らしい! 軍や警察からしてみれば、取引してでも手元に置きたい駒だろう。そして、君はまた、小さな部屋で情報を突き合わせて計画を練る装置になるわけだ」
「………」
「そこでだ。どうだろう、僕に雇われる気はないか?」
――――やと、われる?」


セイカは、キャスパーの唐突な申し出に、首を傾げた。このとき、まだセイカはキャスパーの職業を知らない。ただ、その雰囲気から決して軍属ではなく、かといって、太陽の下を堂々と手ぶらで歩ける人種ではないことを、持ち前の観察眼で見抜いていた。そして、キャスパーもそのことに気付いていながら、ただ条件を提示してくる。


「そう。僕と一緒に、世界を見て回ろうじゃないか!」
「………世界を?」
セイカレーベルヴァイン。遊戯の天才。その才能を、もっと有意義に生かしてみたいとは思わないか?」


差し出された手は、おおよそ男のものとは思えないほど白かった。もしかしたら、今は血色が失われているセイカの手よりも白いかもしれない。セイカはぼんやりと、その差し出された手を眺める。別に、この才能を有意義に使おうなどという願望はなかった。そして、世界を見て回りたいとも。あの快感を、自分の予測が現実を征服するときの快感が味わえるのなら、警察にでも軍にでも隷属しよう。だけど、この男といれば、何かもっと大きなものを得られる気がする。それが、感覚が閃いただけの予感なのか、無意識に織り成された緻密な計算なのか、セイカには分からない。しかし、そう思ったときには、すでにセイカの手はキャスパーの手を握り返していた。


「………よろしく、お願いします」
「交渉成立だ」


それが、セイカレーベルヴァインとキャスパー・ヘクマティアル――――幼き穎才と武器商人との出会いであった。