場外の奏者






――――♪」


とあるホテルの一室、シンプルな内装ながらも上品と高級感を失っていない部屋にあるベッドの上で、一人の少女が楽しげにアルバムを捲っていた。いや、少女というには聊か年齢を重ねているように見えるが、その仕草の幼さと無防備さで、どうにも正確な年齢が判別しにくい女だった。彼女――――セイカは、機嫌よさそうに鼻歌を歌いながら、アルバムを捲っていく。しかし、それもぱたん、と隣の部屋へと通じる扉が開いた音で一時停止された。


「やけに機嫌がいいな、セイカ
「はい。昨日、ヨナ君に会ったからです。これがヨナ君で合ってますか?」
「んー? どれどれ」


隣の部屋から出てきたキャスパーは、ネクタイを緩めながら、セイカの寝転がっているベッドへと腰掛けた。覗き込んだアルバムの中には、きっちりと等間隔の幅で綺麗に写真が収められている。少し変わっている所と言えば、写っている人物一人一人の横に名前が書かれており、景色だけのものには撮影した日時と細かい緯度経度が示されていた。思い出のアルバムというには、どこか違和感を覚える作り。


「この小さいのがヨナ君。隣にいるのがココ」
「そうそう。なんだ、今回はやけに覚えがいいなぁ」
「はい。ヨナ君可愛い。だから好きです」
「………なるほど。セイカは年下がいいのか」
「あらあら、フラれちゃいましたねぇ」
「あ、チェキータ」


いつの間に部屋に入ってきていたのか、チェキータは調子よく手を振りながら、部屋へと入ってきた。キャスパーはなんだか不満そうな表情を浮かべながら、それもすぐにいつもの笑顔で塗りつぶされる。しかし、それを見逃すほどチェキータは甘くない。にやにやと、セイカのアルバムを見る。


「もう三冊目?」
「うん。キャスパーといると、いろんな人に会う」
「まあ、武器商人だしねぇ。でも、キャスパーが写った写真は一枚も無いのよねぇ」
「………チェキータさん」
「あら、もしかして気にしてた? 気にしてたのぉ?」


手にしたアルバムの全部に目を通しながら、チェキータは更なる攻撃材料を探した。これはいわば、セイカの外部記憶装置なのだ。セイカがゲームの天才と言われている所以は、一度に取り込む情報量の多さと、それを瞬時にまとめ上げる処理能力、それを基に限りなく誤差なく答えを弾きだせる計算力にある。人の脳は普段、外界から受け取れるであろう情報のほとんどを破棄し、必要最低限の情報だけを取り入れる。しかし、セイカの脳は五感で感じることのできる外界の情報を破棄することなく、すべての情報を処理し、様々な結果を導くことが出来る。その反面、彼女の脳は記憶するということに劣っており、人の顔などを上手く覚えることが出来ない。ゆえに、こうして初対面でこれからも交流がありそうな人間については、写真を撮り、何度も何度も記憶しなおしているのだ。


「ちなみに、最初は私だったのよぉ、写真」
「この方法を教えたのは僕ですけどね!」
「でも、その本人が撮られてないって、すごく悲しいわぁ」
「やめてください。もう泣いちゃいますよ」
「男の泣き顔なんて、見ても楽しくもなんともないからやめなさい。で、セイカ。真面目に疑問なんだけど、どうしてキャスパーの写真は撮らないのかしらぁ?」


今までぼんやりと二人の会話を聞いていたセイカだったが、いきなり振られた話題に驚きながらも、訝しむように眉を顰めて言った。心底、分からないといった表情で。


「え? だって、キャスパーとはいつも一緒。ずっと一緒だから、写真いらない」
セイカ! とってもいい子だ!」
「………ああ、訊いた私がバカだったわぁ。吐いていい?」


キャスパーはセイカの答えに満足したのか、チェキータの質問に答える際に起き上がっていたセイカの身体を思い切り抱きしめた。今まで腕の中に収めてきたどんな女性よりも柔らかく、心を攫っていく存在。セイカはびっくりしながらも、すぐに満面の笑みを浮かべてキャスパーの為すがままにされる。チェキータはそんな二人を見ながら、うえ、と舌を出して部屋を出て行く。


「お邪魔虫は撤退するわぁ。セイカ、襲われそうになったら叫ぶのよぉ?」
「うん。分かった! 叫ぶ!」
「酷いですよ、チェキータさん」


扉の向こうにチェキータの姿が消えたのを確認して、キャスパーはセイカとなだれ込むようにベッドに倒れる。セイカも抵抗の素振りも見せず、白く清潔な匂いのするシーツへと沈んだ。栗色の髪がシーツの上で波打つ。と、キャスパーはサイドテーブルに置かれてあったセイカ愛用のデジカメに手を伸ばして、寝転がったままセイカの肩を引き寄せた。「はい、チーズ」唐突に焚かれたフラッシュに、セイカは驚いて思い切り目を瞑る。片手で器用にデジカメを操作しているキャスパーに、セイカは抗議の声をあげた。


「キャスパー、びっくりしました!」
「フハハ、見ろセイカ。思い切り目を瞑ってるぞ、これ!」
「いきなり撮るからです。訂正を要求します」
「いや、これでいい。可愛いから」


えい、と保存のボタンを押すキャスパーに、セイカは操作し終わったキャスパーの手からデジカメを取り返す。セイカは液晶に写ったキャスパーの顔を不思議そうに見ながら、尋ねた。


「でも、なんでいきなり?」
「いやぁ、なんか悔しくてさ! ココどころか、ヨナ君にまで先を越されるとはね!」
「………よく分かりません。キャスパー、何を悔しがってるんですか?」
セイカを見つけたのは僕で、セイカの所有者は僕だ。だから、僕はセイカの全部を知っておきたいんだよ」
「? はい。私はキャスパーの部下です」
「うーん。そういう意味じゃないんだけどね」
「じゃあ、どういう意味なんですか?」
「それは教えないでおこう。気付いたときが楽しみだ」
「なら、早く気づけるようにします」


ぐでり、とセイカに寄りかかってくるキャスパーの頭に頬を寄せながら、セイカはキャスパーと撮った一枚を見て、そっと微笑んだ。